【札幌市中央区&東区】苗穂地区の住所表示には、不思議がたくさん(中央区編)
札幌の中心部の住所は、良く条と丁目を区切る道路により碁盤の目(グリッド、ブロック)になっているというけど、意外とそうでもないところがあり、各エリアにそうできなかった事情があります。道路がなかったり、変形していたり。
例えば、苗穂。
例えば苗穂。中央区側も東区側もです。
そもそも札幌は、創成川より東では、北と南で半ブロック東x丁目がずれています。
この理由はまたいつか案内しましょう。
更に線路の南北でもずれています。
さらに区画が、全然ブロックの形ではないところもたくさん。
例えば北3条を例に取ってみても、各x丁目により結構大きさと形がまちまち。
もちろん、これにはそれぞれの歴史があります。
これはかつて、東区雁来町の記事でも言ったのですが、元々今の札幌として当初プランに入っていたのは、東4丁目くらいまでで、それより東は、昔は札幌村大字苗穂だったからです。それが少しづつ札幌市に取り込まれて行ったから、そもそも一番最初の札幌市のマスタープランに入っていなかったのではないか、と考えています。
当時の東4丁目くらいより東は、200年位前まで豊平川の流れがほぼ現在の伏籠川(つまりこれが旧河川の跡)でしたので、明治の初めになっても、今の東4-6丁目くらいには伏籠川に繋がる流れがまだあったり、豊平川本流も蛇行していたり、さらに今の東12-14丁目あたりにも豊平川本流から北に流れて、やがて伏籠川にぶつかる流れがあったり。川とおそらく湿地やメムがあるエリアを少しづつ開拓して、人が住める土地にして行ったのでしょう。
その中で、道路をきちんとブロックで作る前に地権者が決まったり建物ができたり、畑ができたりしてしまい、もうきちんと特に南北の区割りの道を作れなくなってしまったのだと推察します。
ですから1962年に住居表示を制定した時には、実際の敷地や建物を見ながら、できるだけ中心部と同じく120m程度の区画で設定しようと試みたのだと思います。
当時は、すでに大通、北1.2.3条はもうきちんとあったのですが、その道路に区切られた東西に細長い範囲にびっちり家屋や建物が並んでいたので、南北の通りは簡単には通せませんでした。
現在は最大の幹線の1つである南郷通もそうです。元々この通りができたのは菊水の五叉路より南が1974年、それより北の苗穂地区は水穂大橋ができた1986年です。だから住居表示の時はまだなかったのです。
というわけで、中央区側の苗穂地域の南郷通(大通東から北3条)さえ、後からできたので、東10丁目と東11丁目を区切る境にはなっていません。
という事で、道なき区画も多いこのエリアを見ていきましょう。
今日は、北3条の苗穂駅付近を例に取ります。
北1.2.3条でそれぞれ説明するととても複雑なので、ここでは北3条を例に取ります。苗穂駅付近のみで説明しますね。
以下、条丁目は省略して書きますね。
北3東9
なぜか幅が50m程度しかありません。それに加えて、鍵の形のエリアで、厚生病院(北3東8)の駐車場の一部も北3東9です。厚生病院が北3東8ですから、ここは東8.9が縦に並んでいます。
かつての開かず踏切に至る道がこの区画の西端、(お、ここには道がある)そして西側の北3東10との境は特に道などありません。
また北4条通があるのは北7まで。そこからはJRが実質北4条通の役目を果たしています。
また東区についてはまた書きたいのですが、中央区にしても東区にしても、北4東9はありません!
北3東10
西端は特に道などありません。そして東端は、苗穂駅前広場の西側の通路の真ん中くらいです。東西は170mほど。
ここはご存じ苗穂駅移転に伴い2018年にできたエリアなので、既存の区画にできるだけ駅を合わせたのかな?なんて思いましたが、多分、地権者単位で条丁が決まり、そこが丸っと駅になったのかな?
ローソンやカフェ、野菜屋さんがあるビルは北3東10です。
この歩道のどこかが境目かなと思ってます笑
15年位前には、東10はかつての木材工場や倉庫の多い昔の苗穂の香りのするスペースがありました。北3東11には確かカーディーラーがあり、苗穂駅が移転する直前にはポロクルの基地になっていたり、移動された自転車の保管場所になっていました。区画を分ける道はありませんでした。
北3東11
苗穂駅前広場の西側の通路の真ん中?あたりから、駅に連続している東側のタカラスタンダードさんの駐車場のあたりまでです。つまりほとんど苗穂駅南口エリアがこの区画です。東西は120mほど。
懐かしい跨線橋ですね、2017撮影です。
今の苗穂駅があったところは、私の亡き父が関係していた日立系の会社があり、1990年代にはすでにその会社の広大な駐車場がありました。この会社の横には自転車も渡れる跨線橋がありましたが、これも条丁を隔てる道ではありませんでした。なお、この日立系の会社は今も札幌と苗穂の間の線路脇に移動して存在しています。
なおこの区間の北側の方の東端は、ホームの中程です。これもまあ苗穂駅が後付けでここに移動してきたからですね。この261系1000ですが、右側のとかち3号(札幌方がST1216編成)は、今まさに中央区北3東12から東11に入ろうとしているところです。一方、待機線でおやすみしている北斗6号として札幌駅までやってきた札幌方ST1219編成は、札幌方が中央区北3東11、釧路方が北3東12にいます。
あ、岩見沢行きの電車に間に合わないので、乗りながら話を続けます。
北3東12
ここは少なくとも1980年代までは日通と国鉄の貨物駅があったところで、今はマンション。東西150mほど。歴史を反映してかなり変形しています。
北3東13
ここはかつての苗穂駅。東西は120mほどですが、これはもう住居表示ができた時にはあったので、確実に苗穂駅エリアとして指定したのだと思います。南北はかなり鉄道との間隔が狭くなり70mほど。
北3東14
かつての苗穂駅の駐車場だったところ。
東西120mほど、南北は50mほどの変形です。
先日雁来町は人口ゼロと言いましたが、この区画もゼロでしょう。
北3東15
もう線路だけ、確実に人口ゼロ、しかも東雁来町と違い、最初からゼロだったでしょうか。
東端は北2条との立体交差、つまりかつて国道275が踏切で渡ったところです。
。。。この東15丁目で北3条は終わりです。私の列車も間も無く大きく豊平川を渡ろうとカーブしますので、さようなら!
歴史に翻弄された、道路と区画の関係が複雑なこの地区の歴史を感じとってくれれば幸いです!
★苗穂駅★
駅舎と南口住所: 札幌市中央区北3東11
駅舎の一部は実質は東区北4東12にあるようですが、中のテナントも含めて北3東11と表記されています。
北口: 札幌市東区北4東11という表記と北5東11という表記があります
北口横の第2駐輪場は東区北5東11
でも北口より北にあるタクシー乗り場は北4東11とあります
本当はどうなんでしょうか?今後の宿題とします。