女たちの奔放な性の表現が「不穏当」…鮮烈デビュー作は1週間で発禁処分に 椋鳩十の文学から「戦後80年」を考える
ところが「鷲の唄」は、発売1週間で発禁処分となる。山の民の自由な生き方や女たちのたくましく奔放な性が不穏当とされた。再販で144カ所が伏せ字となり、椋は「あっさりと筆を折った方がよさそうだと考えた」と回想している。山窩小説を書けなくなった椋は、野生動物に思いを託し、児童文学への道を進むことになる。 ■むく・はとじゅう 1905(明治38)年長野県喬木村生まれ、本名・久保田彦穂(くぼた・ひこほ)。加治木高等女学校の国語教師をしながら雑誌「少年倶楽部」に児童向けの動物小説を発表し、児童文学作家となる。「片耳の大鹿」「孤島の野犬」「マヤの一生」など多くの作品で知られる。47~66年に鹿児島県立図書館長。市町村図書館と配本を共同運営する「鹿児島方式」を確立し、「母と子の20分間読書運動」を全国に広めた。55年南日本文化賞、83年芸術選奨文部大臣賞。87年に死去し、喬木村の第1号名誉村民。 ■山窩調(さんかちょう) 1933年4月に自費出版した短編集。椋鳩十のペンネームを初めて使った。山の漂泊民「山窩」の物語7編を収め、大宅壮一、吉川英治、里見享らに高く評価された。大宅によって雑誌「人物評論」に掲載されたほか、東京日日新聞でも「山窩譚(たん)」として連載された。半年後に未収録作品を加えた「鷲(わし)の唄」が春秋社から出版されるが、発禁処分となった。
南日本新聞 | 鹿児島