90年代、環七ラーメンブームはなぜ終わったのか? 「青葉」「くじら軒」「麺屋武蔵」という革命
1996年はラーメン界に大激震をもたらしたビッグイヤー
随分話が逸れましたが、90年代も後半に入る頃には、少なくとも一都三県においては、一冊のラーメン本が作れるくらい美味しいラーメン店が増えてきた。そういった空気感の最中、1996年という、ラーメン界に大激震をもたらしたビッグイヤーが訪れます。その年に「青葉」、「くじら軒」、「麺屋武蔵」の3軒のラーメン店がオープンしたのですが、この3軒が誕生したことで、環七ブームが一気に終焉に向かうことになったのではないかと考えています。 この3軒の特徴は、大きく3点あります。ひとつは、駅から近く車がなくても容易にアクセスできること(横浜のセンター北にある「くじら軒」はさておき)。「青葉」は中野駅、「麺屋武蔵」は青山一丁目駅のすぐ近くに本店がありました(「麺屋武蔵」はその後、新宿に本店機能を移転。移転後の本店も新宿駅から徒歩圏内である)。 2つ目の特徴として、共に従来のラーメン店とはタイプが異なる外観(ファザード)を採用したという点です。誰もが気軽に入店できる店構えにすることで、ファミリー層や女性客などの新たな客層を獲得することに成功した。 3つ目の特徴として、これは言わずもがなですが、ラーメンの味が革命的だったことです。鶏と豚で取った動物系スープに、魚介スープを合わせるラーメンづくりの手法を採り入れました。その味に倣うお店が増えていった結果、ラーメンシーンは新たなステージへと突入したのです。 とはいえ、実を言えば1980年代から魚介素材を積極的に採用していたラーメン店はありました。2024年現在、人気が高いラーメンジャンルとして君臨している「神奈川淡麗系」のはしりである「支那そばや(1986年創業)」ですね。当時は、インターネットもなかった時代。あるジャンルのラーメンが誕生してからブームとして注目されるまでに、それなりの歳月を経る必要がありました。 「環七ラーメンブーム」もしかりで、背脂チャッチャ系ラーメンそのものの誕生から、それが「環七ラーメンブーム」として注目を浴びるまでの間には、相当なブランクがありました。 構成/大泉りか
ENTAME next編集部