350年続く京都の酒蔵、コロナ禍で経営危機に 「義父が完全に任せてくれた」挑んだ公認会計士出身14代目
1673(延宝元)年に和歌山県で創業、戦時下の空襲をきっかけに京都・伏見に移転した玉乃光酒造(京都市伏見区)。今やコンビニやスーパーで当たり前のように見かける「純米酒」を日本に復活させた蔵元だ。14代目の羽場洋介社長は、2023年9月に義理の父から会社を引き継いだ。「コロナがなかったら社長にはなっていなかった」と語る羽場社長に、事業承継の経緯や「改革したもの」と「残したもの」について聞いた。 【動画】なぜ事業承継が大切なのか専門家に聞いた。
◆コロナ禍で350年続く事業が途絶えてしまうことを恐れ社長に就任
ーー社長に就任されるまでの経緯を教えてください。 大学を卒業後、公認会計士として大手グローバルファームに就職し、上場会社の財務状況をチェックする仕事をしていました。 その後、30代でコンサル会社に転職して、金融系の会社を中心にコンサル業務を行い、さらに投資先の飲食会社に転職しました。 その飲食会社で副社長として経営を担いましたが、コロナ禍をきっかけに玉乃光の社長になりました。 ーー義理の父からの事業承継でした。 もともと声をかけてもらっていましたが、コロナ禍で売上が激減しているという状況で再度、「社長にならないか」と話がありました。 江戸時代から350年続く事業がなくなってしまうことを想像したら、「自分にできることがあるなら、やるしかない!」と思ったんです。 玉乃光酒造株式会社に副社長として入社し、2023年9月に社長に就任しました。 ーーもともとコンサル会社に勤めていたということで、経営に参画することに対しての不安はありませんでしたか? 税務周りはもちろん、組織や人事の知識は役に立っていると思います。 コンサル会社で働いていなかったら、いきなり社長をやれと言われても何から始めたらよいのか、分からなかったはずです。
◆350年の歴史を実感したときに感じた事業承継への想い
ーー事業承継する際、感情がもっとも揺さぶられた出来事は何でしたか。 350年の歴史を実感した瞬間ですね。 玉乃光酒造はもともと和歌山で創業して、当時は徳川家御用達だった酒蔵の1つです。 第二次世界大戦の空襲をきっかけに、11代目の社長が京都伏見に移転しました。 当時はいわゆるベンチャー企業みたいなものだったのですが、この11代目の社長が本当にバイタリティにあふれていました。 戦争の米不足で禁止されていた純米酒を復活させたり、等級制度(※)によってほとんど売れていなかった玉乃光酒造の純米酒を周囲に配り歩いたりしていたそうです。 玉乃光酒造が純米酒を復活させた当時、お酒は特級、1級、2級とランク付けされ、味や品質に限らず税金を多く支払えば高いランクが付き、よく売れていました。 でも、玉乃光酒造の純米酒は原価が高いため、税金を支払う余裕がなく、「等級が付いていないのに高い酒」となりほとんど売れなかったのです。 ーー確かに進取的な方ですね。 今は純米酒といえば、コンビニやスーパーで気軽に買えるくらい当たり前のものになりましたが、それは先代の行動あってこそです。 このような話を聞いたり、当時から100年続く酒蔵を見に行ったりして、玉乃光酒造の350年の歴史に触れた時に、長く続いてきた事業の凄みを感じます。 「400年、500年続く会社にしていかないと」という使命感に駆られますね。