「寝ずに祈っていたら幻も見るでしょうね」 脱会信者に共通する“至高体験の欠落”
世間から「問題がある」とされている宗教に、なぜ入信するのだろうか。 多くの人にはピンとこない話かもしれないが、“内側”にいた人たちの証言からその体験世界をのぞけば、誰もが「狂信」する可能性にドキリとするかもしれない。 【写真】東京・渋谷区の高級住宅街にある旧統一教会本部 本連載記事では、宗教2世の「当事者」であり、問題に深く関心を持つ「共事者」でもある文学研究者が、宗教1世と宗教2世へのインタビューをもとに、彼らの「狂信」の内側に迫る。 今回は、脱会した信者たちが口をそろえて証言した「至高体験の欠落」を紹介する。(第3回/全6回) ※ この記事は、文学研究者・横道誠氏による書籍『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)より一部抜粋・構成。
神秘的な体験はなかった
今回インタビューをしてみると、私は脱会した信者たちによる至高体験の欠落は注目にあたいすると考えた。 リネンさんは、神の顕現を感じるほどの至高体験を経験したことがない。 【リネン でも「開拓奉仕」に出て、8時間の伝道を終えて帰ってきたら、体は疲れているのに「聖霊に満たされている」という感覚がありました。それで仲間たちと「エホバの祝福ね」と声をかけあってました。】 リネンさんが体験していたのは、温和なフロー状態と言って良いだろう。 ジャムさんも至高体験を経たことがない。エホバに対して、教団内で言われている「父なる神」と感じることもなかった。神秘的な体験をする人は、精神疾患の傾向があるのではと考えている。夫からの家庭内暴力に耐えていたジャムさんには、男性信者が優しい姿勢でリーダーシップを取って、女性たちを守る教団の体質は、幸せなものと感じられた。たくさん祈って、じぶんでじぶんを洗脳していったと感じる。 グレーさんも、神秘的な体験があったかどうかと問われれば、ないと言うしかないと語る。祈り、歌うことは至高体験に開かれず、自己暗示をかけるためのものだった。陶酔状態になったことも、脳内麻薬のようなものを感じたこともなかった。奇跡的な神の顕現に憧れたことすらない。 ちざわりんさんは、地区大会の終わりに讃美歌を歌っていると、高揚感を覚えた。仲間同士で歓迎しあっているのだと思った。だが「変性意識状態」と呼ぶべきものは体験したことがない。ちざわりんさんの母は、実家がシャーマン系の宗教の家柄で、それに嫌気が差して、エホバの証人に入信する動機のひとつになった。ちざわりんさんもその点で、母親の心理を共有している。