大西信満、故・若松孝二監督の映画でスタートした“役者としての第2章”。監督の別荘を破壊する苛烈な現場「あの緊張感は忘れられない」
「どんな小さな劇場でも舞台挨拶に」
若松監督は、2012年、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』、2012年、『海燕ホテル・ブルー』、2013年、遺作となった『千年の愉楽』と立て続けに映画を製作。大西さんは、そのすべての作品に出演している。 『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は、作家として頂点を極めながら1970年11月25日に防衛庁内で衝撃的な自決を遂げた三島由紀夫と仲間たちの魂の軌跡を描いたもの。大西さんは、三島由紀夫が結成した民間防衛組織「楯の会」の隊員・倉持清役を演じた。 「若松監督の現場では、常に何かに対する怒りのようなエネルギーが独特の緊張感をもたらしていました。三島は連赤とは逆方向の思想に殉じた人の映画ですが、側にいて感じたのは、若松監督は思想の左右とかじゃなく、生命を懸けて行動した人の無念の思いに対する鎮魂碑を刻むつもりで撮っているのかなって」 その直後に撮影された『海燕ホテル・ブルー』は、前3作とはまったく違うテイストの作品。刑務所の中でなぶり殺しにされた仲間の復讐を誓い、出所してきた幸男(地曵豪)は、7年前に自分を裏切った洋次(廣末哲万)に落とし前をつけるため、海燕ホテルを訪れる。そこでミステリアスな美女(片山瞳)と出会い、夢か現実か曖昧な情念の世界に…という展開。大西さんは、女に魅了され殺人まで犯す、怪しげな警察官を演じた。 ――ハードな作品が3本続いて、その後が、『海燕ホテル・ブルー』。ちょっと異色でした。 「そうですね。あれは全然違いましたね。この作品に関しては、原作はあるんですけども、脚本の改訂を重ねていくなかで原作とはだいぶ変わってきて、自分の役なんかは多分原作になかったんじゃないかな。だから自由に彩りを加えるように人間関係の中に割って入って…というところでやっていたような気がします」 ――女に惑わされ殺人まで犯す、うさん臭い警察官というのが新鮮でした。 「若松監督が前々から酒の席などで『海燕ホテル・ブルー』をやりたいと話していたんです。盟友である原作の船戸(与一)さんから『好きにやっていいよ』と以前から言われていたそうで、男3人がひとりの女を巡って壮絶な殺し合いをする話にしたいって。『すぐに頭で考えるな。理屈じゃないんだ、映画ってもっと自由なんだよ』って、よく言っていました」 若松監督は、交通事故による多発性外傷で、2012年10月17日に76歳で亡くなり、『千年の愉楽』が遺作となった。紀州の小さな路地で生まれ、女たちに圧倒的な愉楽を与えながら、命の火を燃やし尽くして死んでいく美しい中本の男たち。彼らの生き死にを見つめ続けた路地の産婆・オリュウ(寺島しのぶ)の脳裏に、はかなくも激しい彼らの生きざまが蘇る…。 「僕は、『千年の愉楽』のときは、ケガをしていたんですよね。別の作品で足の半月板を損傷して手術して2週間後ぐらいに『千年の愉楽』が撮影開始だったので、『自分は松葉杖がないと歩けないし地方には行けないから、今回は無理です』って言ったら、『じゃあ東京で歩かなくていい役を用意するから』って言ってもらえて。『だったら大丈夫です。お願いします』って言ったんです。 でも、現場に行ったら『あっち歩いて』って言われて(笑)。現場入ると頭の中が全部映画のことになるから、忘れてしまったんでしょうね。『いやいや、歩かないって言ったのに』って内心思ったけど、結局なんとか歩けました(笑)。何かと思い返すといろんなことがあって、おもしろかったですね」 ――若松監督は、小さな試写室でのマスコミ試写にも時間の許す限りいらしてご挨拶されていましたね。 「そうですね。全国各地に舞台挨拶で行きましたし、一緒に海外の映画祭にも行きました。『声をかけていただければ、どんなに小さな劇場でも行く』というのが若松監督の信念。自分の口できちんとご挨拶をするという姿勢を叩き込まれました」 若松監督の思いが愛した俳優たちに受け継がれている。次回は、大西さんが原作を読んで映画化を熱望して実現した『さよなら渓谷』、柴犬の飼い主である中年男性3人が繰り広げるユニークな会話劇を描く『柴公園』、現在公開中の映画『東京ランドマーク』(林知亜季監督)の撮影エピソードなども紹介。(津島令子)