大西信満、故・若松孝二監督の映画でスタートした“役者としての第2章”。監督の別荘を破壊する苛烈な現場「あの緊張感は忘れられない」
四肢を失って戦争から戻った難役
2010年、大西さんは、若松監督の映画『キャタピラー』に出演。第2回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞した。大西さんが演じたのは、第二次世界大戦中、顔は焼けただれ言葉を発することもできず、四肢を失って戦争から戻った久蔵。妻・シゲ子(寺島しのぶ)は戸惑いながらも、多くの勲章を得て“生ける軍神”として崇められる久蔵の際限のない食欲と性欲に悩まされることに…。 「『キャタピラー』は、連合赤軍があまりにも強烈だったので、そんなに現場は大変だった印象がなくて。もちろん肉体的には大変な部分がありましたけど、前作の連合赤軍は群衆劇だし、史実で当事者が生存しているわけで。 それを映画として製作することに対して、当然よく思わない人もいる状況のなかでやっていましたから、なおさらその緊張感というか、中途半端なことはできないという思いがありました。 でも、『キャタピラー』に関しては、フィクションではあるけど、戦争という重たいテーマだし、描かれている世界も壮絶だったので、すごい緊張感はあったんですけど、史実で群像劇である連合赤軍とは全然違って、寺島しのぶさんとふたりきりの淡々としているけど激しいやり取りでしたからね。連合赤軍とは対照的に、静かな緊張感のなかで撮影した印象です。 あと、四肢も失い、言葉もしゃべることができないという設定なので、表現の方法が限定的で。だから結局、目と、あとは呻き声や身体の動きで伝えるしかないんですよね」 ――目の表現力というか、目ヂカラがすごくて印象的でした。 「伝える術(すべ)がそれしかないですからね。それしかやりようがないというか。『キャタピラー』に関しては、こんなことを言ったら何ですけど、セリフを覚える必要がない分、あらゆる感覚を研ぎ澄ませて集中してできたというか。 どの現場でも、どんなにしっかり準備して、どんなに完璧にセリフを覚えたつもりでも、役者ってどこかで『明日このセリフがちゃんと言えるかな』という不安は何年やっていてもあるものなんですけど、『キャタピラー』に関しては、そういうのはなかったので。 だから、本当にただただ集中して、その時代のことや役の背景だけしっかり落とし込んで、言葉にしたら安易だけど、『なりきる』というか。そのなかで『実際にこういう状況だったらどうする?』って、役に向かうんじゃなく、100パーセント自分の内面に向かうというやり方をしたので、それはまた全然違った集中力というか、自然と没入していけました」 ――撮影は非常にアナログ的だったそうですね。 「はい。ほとんどCGなどは使わずに、(手足を)縛って、隠して撮っていました。前から撮るカットは手を後ろに縛って、足も縛って、裏から撮るときは逆にして。肩をひねらせて動くしかないので、そういう部分での大変さはもちろんありましたけど。ただ、それは僕というよりかは、撮影部が工夫して、バレないような角度を探していて大変だったと思います。 自分としては、その状態のなかで、身体中が擦り傷や内出血だらけだけど、そんなことも気にならないぐらい集中して撮っていました。しかも撮影日数が2週間もなかったと思うので、気持ちが途切れることもなく。 あと、連赤もそうでしたが、地方ロケというのも大きかったですね。一気に撮っちゃう作品というのは、気持ちが非日常のまま最後まで走れる感じというのかな。しかも田舎で娯楽もないから、ひたすら集中できたという感じです」 ――寺島さんとは『赤目』でもご一緒されていて2度目の共演でしたね。 「はい。それは大きかったですね。もし、初対面の人とあの夫婦役で…となると、それはちょっと難しかったかもしれませんね。でも、多分それも全部計算済みでの若松監督のキャスティングだったと思います」 ――若松監督の作品がずっと続きましたが、そうなる感じはありました? 「いや、お酒を飲んでいるときに、『次はこんな映画を考えているんだ』とか、いろんな話が出ることはありましたけど、でも、それは全部酒の席でのことなので、話半分に聞いているぐらいの感じですよね。それを全部真に受けていたら大変というか、自分が必ず呼ばれる保証なんてないので。 それは僕だけじゃなくて、みんなもやっぱり半信半疑というか、話半分で聞いていたと思います。若松監督だけじゃなく、どんな監督と飲んでいたってそういうものなので」