大切な写真が水浸しに…思い出を奪った“肱川の氾濫” 西日本豪雨から6年…治水対策進むも残る不安【愛媛発】
住民は安心できるのか
菅田地区に住む中野伸一さんは、6年前のあの日、目の前の肱川からあふれ出した濁流が瞬く間に自宅や納屋を飲み込んだと語る。 「あそこまで水が来たんですよ」と中野さんが指さす先の壁には、その高さまで水が来たと分かる跡があった。記者の身長が173cmなので、そのさらに10cm上まで水が来たということになる。 納屋の中は、濁流で壊されたり流れ込んで固まった土が残っていたりと、被災当時の傷跡が今も深く残ったままだ。 「思い出」も失われた。大事に保管していたアルバムは水浸しになり、ページがくっついてしまって開けない。取り出すことができた写真もカビが生え、黒く汚れてしまった。 中野さんは、「卒業アルバムとか家族のアルバムもある。それらの思い出がなくなるというのが一番悲しい」と話す。 あれから6年。今回の激特事業では、中野さんの自宅近くにも堤防が整備された。 ハード面での対策が進み、さぞ安心したことと思いきや…、中野さんは、「やっぱり洪水が出てみないとわからない、という部分はあると思う」と不安を口にする。 中野さんの自宅のすぐそばを流れるのは肱川の支流・本郷川だ。肱川との合流地点には「フラップゲート」という弁が設置されており、洪水などで肱川の水流が多くなるとその水圧でゲートが閉まり、本流の水が狭い支流へ逆流するのを防ぐ。 しかし、支流の水が本流に流れないことで住宅地にあふれ出す「内水氾濫」のリスクがあるのだ。中野さんは、「堤防ができたことはありがたくて安心な面もあるが、この内水がどうなるか、なってみないとわからないがちょっと心配」だと話す。 この地区で堤防を整備した愛媛県も「内水氾濫」のリスクを想定していて、「今後、対策も検討していきたい」としている。
治水対策は堤防だけではない
治水対策は堤防の整備だけではない。6年前、緊急放流を行った野村ダムでも現在、改良工事が進んでいる。肱川ダム統合管理事務所の南本秀行副所長は、「ダムの中腹に、新しい放流設備の穴を掘るようになっている」と説明する。 ダムの低い位置に直径約5mの穴をあける大がかりな工事だ。 この新たな放流ゲートを造ることで、大雨が降り事前放流を行う場合にダムの水位をより早く下げることができるようになり、結果として多くの水をためられるようになるということだ。 また下流域でも、川の中の土砂を取り除き水が流れる面積を広くすることで、洪水時の水位を低下させるための工事が行われている。 南本副所長は、「今後、ダム下流の河川整備のさらなる整備、それから野村ダムの改良、また山鳥坂ダムの建設が完了すれば、『平成30年と同規模の洪水を安全に流下させる』ことが可能となってくる。これからは流域治水の考え方のもと、流域の関係機関や住民の方々一体となって ハードやソフトの強化に一緒になって取り組んでいく必要があると思っている」と述べた。 西日本豪雨の悲劇を繰り返さないため、この6年間、ダムや堤防などの治水対策が進められてきた。しかし、住民の不安をなくすため、安全に向けた取り組みに終わりはない。 (テレビ愛媛)
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