松田聖子に憧れ芸能界へ…昭和最後のアイドル・北岡夢子の軌跡【後半】
1988年にデビューし正統派アイドルとして注目を浴びた北岡夢子さん。2001年以降長く活動休止していましたが、今年配信シングル『二人の季節』で突然の活動再開宣言。どんな経緯があったのか? そして気になる新曲は? このたび、本人がラジオ番組にゲスト出演して、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美とともに、濃密トークを繰り広げました。今回はその後編です。 【写真】北岡夢子さんの復帰作『二人の季節』のジャケット ※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2024年11月29日放送回より 【中将タカノリ(以下「中将」)】 前編に引き続きゲストに北岡夢子さんをお招きしてお届けします。 【北岡夢子(以下「北岡」)】 ありがとうございます。前編は大盛り上がりでした! 【中将】 前編では『憧憬(あこがれ)』(1988)でデビュー以降、アイドルシーンの階段を駆け上がってゆく夢子さんをご紹介しましたが、後編ではその後の全盛期と気になる今についてお話を聞いていきたいと思います。 オリコンウイークリーランキングでは『憧憬』が65位、セカンドの『告白』が39位でしたが、1988年10月の続くシングル『恋心』は29位。堂々のスマッシュヒットですね。 【橋本菜津美(以下「橋本」)】 アイドルとしてデビューされたばかりだけど、どの曲からも歌唱力を感じます。 【中将】 当時、ご自分の歌についてはどう思っておられましたか? 【北岡】 みんな褒めてくれるんだけど、事務所や教室のレッスン以外に特になにかやってきたわけじゃないし、「ホントかな~?」と思っていました。でも子どもの頃から歌好きでずっと歌っていたので、今思えばそれが良かったんでしょうか。 【中将】 いろんなシンガーを見て思うけど、子どもの頃から好きだった人が一番伸びやすいですよね。天与の才能というか。 【橋本】 前編で「子どもの頃からお父さんとスナックで歌っていた」とおっしゃってましたが、小さな頃から人前で歌う経験というのも良かったのかもしれないですね。 【中将】 アイドル活動が始まってからはどんな生活だったのでしょうか? 【北岡】 学校に行って、お仕事してレコーディングして寝ると、全部終わりって感じでしたね。休みがなかったし、友だちと遊びに行くなんてこともできませんでした。 【中将】 (当初は)一般の学校に通うも、途中から(芸能科のある)堀越学園に転向されているんですよね? どんな方が同期でしたか? 【北岡】 同級生だと西村知美ちゃん、酒井法子ちゃんとかがいました。 【中将】 堀越ってどんな学校だったんでしょうか? 【北岡】 今は呼び方が違うらしいんだけど、当時は芸能コースというくくりで、タレント活動をしている子たちが集まっていました。芸能コースの生徒は朝、1年から3年まで全員一つの教室に集められてホームルームみたいなことをして、それが終わってから一般の学級に混ざって授業を受けるんです。 【橋本】 へぇ~! そんなスタイルだったんですね。 【中将】 今でも集まったりするんですか? 【北岡】 何人かとはランチに行ったりしますよ。最近はインスタグラムとかがあるから、そこで数十年ぶりに声をかけあって再会というのもありますね。 【中将】 当時の堀越ってすごい人たちが通ってたし、文化も独特っぽくて興味津々です。 さて、楽曲の紹介に戻りましょう。『恋心』の次のシングルは1989年2月の『夢をあげよう』。こちらもオリコン28位を記録。アイドルとして順調に展開する中で、追っかけのファンの大勢いらっしゃったようで、YouTubeでは彼らが撮影した映像がいくつかアップされています。 なかでも面白かったのが、1989年9月16日に夢子さんが万世橋警察署(東京都千代田区)の一日署長に就任した時のもの。警察署前からパレード車で秋葉原駅前まで移動して特設ステージでライブを披露するという非常にアイドルらしいイベントだったようです。 【北岡】 非常に名誉なお仕事だと思ったので、これは印象に残ってますね。 【橋本】 一日署長ってどんなことをするんですか? 【北岡】 私の時は、はじめに賞状のようなものをもらって、みなさんに交通安全の大切さを訴えかけさせていただきました。そんなに大層なことをしたわけじゃないんですが(笑)。あとは、さっきおっしゃったように、パレードとライブですよね。 【中将】 アイドルの王道的なお仕事ですが、当時ご両親は夢子さんの活動についてどう思われていたんでしょうか? 【北岡】 とっても応援してくれていました。親元から仕事に通っていたので、朝早いときも起こしてくれたり、いろいろと協力してくれましたね。 【中将】 菜津美ちゃんもお父さん、お母さんと仲良しですが、やっぱり女の子が芸能活動する上で家族の応援って大切ですよね。友だちや他の人に言えない悩みもあるでしょうし。 さて、お次に紹介するのは、アイドル時代最後のシングル『マイアミ午前5時』(1991)。松田聖子さんのカバーですよね。 【北岡】 私が出演する『歌謡夢図鑑』(テレビ東京)という番組のエンディングテーマで、スタッフさんから「何歌う?」って聞かれたので、大好きだったこの曲をリクエストしました。 【橋本】 憧れの聖子さんのカバーを選ばれたわけですね。 【中将】 今年復帰されるまで、この曲が最後のシングルになっていたわけですが、これが最後になるっていうのはわかっていたんですか? 【北岡】 そういう話があったのかはわからないけど、私自身は全然そんなこと思ってなかったですね(笑)。 【中将】 はからずも……という感じでしょうか(笑)。たしかに90年代に入ると”アイドル冬の時代”と言われて音楽シーンでアイドルがまったくウケない時代に突入しました。 【北岡】 音楽番組はどんどん終了するし、イベントも少なくなってきたなという実感がありました。 【中将】 それで女優業に転向されたのでしょうか? 【北岡】 転向という気は全然なかったんですよ。アイドルの間もドラマとかにはけっこう出ていたので、自然とお仕事が女優業に限られていったという感じですね。でも、やっぱり、もともと歌が歌いたくてこの世界に入ったので、途中でお休みすることにしました。 【中将】 そして今年ようやく『二人の季節』で復帰という流れですね。 【橋本】 アイドル時代よりもグッと大人っぽくなった夢子さん。復帰してからは作詞を担当されているんですね。 【北岡】 はい。以前の曲は少女時代のストーリーなので、今度は大人になった女性、幸せが実った女性の曲を歌いたいなと思いました。 【橋本】 先にできたメロディーに歌詞をつけたとお聞きしましたが、スムーズに書けましたか? 【中将】 そういうのも天性な気がしますね。 【北岡】 えぇ、自分じゃ言いにくいですけど……というのは冗談で(笑)。初めてのことなので、苦労して悩みながら2週間かけて書きおろしました。 【中将】 休業中に単発でテレビに出られた時、結婚されているのを公表されたそうですが、お幸せな生活があるから『二人の季節』のような優しい歌詞が浮かんだのかもしれませんね。 さて、『二人の季節』に続き、11月17日には最新曲『夢の続き』の配信がスタートしました。こちらは、まさに今を歌われたのでしょうか。 【北岡】 そうですね、今、夢の続きを見てます。 【中将】 今、少しずつ人前で歌う機会も増えてきていますが、いかがですか? 【北岡】 緊張もあるけど、すごく楽しいですね。私やっぱり歌を歌うのが好きなんだなと思いました。長くお休みをしてしまいましたが、また頑張っていきたいです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 絶好調で今後への豊富を語ってくれた北岡夢子さん。来年・2025年2月にはバースデーライブ(2日・東京、9日・大阪)を予定。また中将タカノリ・橋本菜津美が主催する「大阪歌謡曲ナイト vol.6」(2月21日)にも出演します。始まったばかりの夢子・第二章から目が離せません。
ラジオ関西