「なぜ令和に街からヤンキーが消えたのか?」現役教師の告白。イマドキ高校生たちの「服装以上に深い闇」
街中で、いかにも「ワルい」といった雰囲気の若者を見なくなったのは、気のせいだろうか。コンビニの前にたむろして、地べたにいわゆる「ヤンキー座り」という座り方で奇声を上げたりしている若者を、そういえばここ十年ほどもう見ない。 令和に「ヤンキー」というものは絶滅してしまったのだろうか。 「ヤンキー」というのはそもそも「不良っぽい若者」のことをさしており、語源をたどれば南北戦争当時のアメリカ南部で、北軍の兵士や北部諸州人に対する蔑称として用いられていたものとなる。のちに「ヤンキー」は、アメリカ人全体を指す言葉となったのだが、日本での用いられ方は、それらとはやや違っている。 日本の「ヤンキー」発祥の地は大阪難波にある「アメリカ村」と呼ばれる地域だ。 1970年代から80年代にかけ、アメリカ村で買った派手なアロハシャツや太いズボンを履いて、繁華街をウロウロする若者を「ヤンキー」と呼ぶようになった。それがいつしかファッションに関係なく「不良」に該当する少年少女全般を「ヤンキー」と呼ぶようになり、西日本を中心に全国に広まった。 「不良」の行為としては、喧嘩、サボり、喫煙、恐喝、制服の改造にはじまる数々の校則違反、深夜徘徊などが上げられていたが、今の若者たちはそういう「不良」行為はあまり行わないのだろうか。 現役の高校教師3人に話を聞いた。 「『ワルい』の内容が変わってきているのかもしれませんね。あと、ワルいかどうかよりもダサいかどうかを気にしているのかなあ。ヤンキーそのものに興味はあって、映画やドラマで見たものを真似てみたりはしていますけど……。何かが違うんですよね」
そう話すのは、自身が「すこーしだけワルかった」という康弘さん(仮名)59歳だ。 たしかに、「今日から俺は」や「ごくせん」などヤンキーたちが活躍するコンテンツの人気は根強い。今の高校生たちは、それらをどうとらえているのだろうか。 「われわれの時は……なんて言うと『老害』とか言われそうですけど。きちんと抗いたいものがありましたからねえ。地面に引きずるほどに長いスカートも、耳に開けた穴も、リーゼントも、たばこも、みんな、何かへの反抗だったんですよ。 許せない相手への威嚇であり、目に映る全ての者が気にくわないからこそのファッションだった。でも今は違うんですよ。ファッションだけは残っていて、そういう『気概』みたいなものはなくなってしまった」 康弘さんは、ややセンチメンタルにそうつぶやいた。