「『お疲れ様でした』と車に乗ってからもずっと号泣で…」青木崇高が最新作の撮影で苦労した“あのシーン”
映画『ミッシング』が、5月17日に劇場公開を迎える。本作は7年前に石原さとみが𠮷田監督に直談判し出演が実現したオリジナル作品で、石原扮する沙織里の夫・豊役を務めるのは、『ゴジラ-1.0』での好演が記憶に新しい青木崇高。 【画像】「涙に移り変わる瞬間が欲しいシーンだからスタートから泣き腫らしているわけにはいかない…」青木崇高が語る『ミッシング』撮影秘話 一児の父でもある彼は、どこまでもリアルで人間味に溢れた人物像をどう構築したのか。そして、現代社会をどのように見つめているのか――。率直な想いを明かしてくれた。
年齢を重ねて「演じる喜び」以外を考えるようになった
――作品を作って届けることは常に葛藤の連続かと思いますが、「これが世に出た時にどうなってしまうか」も含めてお話しいただき、青木さんの本作に懸ける想いが強く伝わってきました。 昔は「セリフをしっかり覚えて現場に行く」ということにガムシャラになっていましたが、年齢を重ねたこともあって「この作品が社会や人にどういった影響を与えるのか」について考えるようになりました。演じることの喜びややりがいと同時に、様々な人に届くことで色々な反応が起こることへの“表現する責任”を背負うようになりました。俳優部といういちパートではありますが、そこから目を背けてはいけないな、と感じます。 ――青木さんの近年のフィルモグラフィは米アカデミー賞を受賞した『ゴジラ-1.0』や韓国の人気シリーズ『犯罪都市 NO WAY OUT』、日仏の合作『蛇の道』等々、より国際的になってきた印象です。 本当にそうですね(笑)。偶然重なった部分もありますし、技術の発展と共に様々な作品が配信などで世界中で観られるようになり、視聴ハードルが下がったこともあるかと思います。それぞれの文化の認知が進んだことでより受け入れられやすくなった向きもあるでしょうし、『ミッシング』も日本だけの問題ではなく、SNS社会のメディアの在り方等々、メイドインジャパンの普遍性ある物語として様々な国に届くのではないかと感じています。
『ミッシング』の撮影で「涙が止まらなかった」2つのシーン
――ご自身のキャリア設計として、より外に出ていきたいというビジョンはございますか? はい。自分も色々な国の方に観ていただきたいですし、撮影にも参加したいです。自分自身もどういった表現ができるのかトライできる機会であり、足りないところは勉強させていただけるので、ご縁があるならどんどん外に出ていきたいです。いまやもう作品においては「国境」自体がどんどんぼやけてきているかと思いますし、外国の文化を知ることで日本の文化の特色を感じられる部分もあります。様々な国の作品に参加することは、自分にとってはいいことだらけです。 ――「親になる」「各国の作品に参加する」といった経験やステージの変化を通し、青木さんの「演じる」ことへの意識にも変化はあったのでしょうか。 それはあると思います。『ミッシング』においては石原さんとも「独身のときには受けられないし、受けたとしても表現としては稚拙になった気がする」という話はしました。それがいい/悪いではなく、表現として溢れるものや親になる経験を通したからこそ向き合える特殊なものが間違いなくありました。 母親は肉体的な変化も大きいため、精神的な変化の度合いも父親に対して圧倒的だと思います。石原さんが現場で向き合った不安や覚悟を横で見られたことは、本当に大きな財産になりました。ここまで「子を想う」のか、ということでしたり、親としては最もつらい状況を表現する際の集中力は凄まじかったです。 ――青木さんのソロパートですと、豊が駐車場の端っこでタバコを吸いながら涙ぐむシーンは一人の父親として感情を抑えきれませんでした……。 あのシーンは大変でしたね。というのも、リハのときからもう涙があふれて仕方なくなってしまったんです。シーンの方向性としては、涙に移り変わる瞬間が欲しいわけですからスタート時から泣き腫らしているわけにはいきません。とにかく気持ちを入れないように「フラットに、フラットに」と言い聞かせていました。 あのシーンの豊の動きとしては、沙織里と口論になってしまい「ここまで運転してきたのにな」などと思いながら駐車場傍の喫煙所までやってきて、娘の美羽と同じくらいの娘を連れた家族を見かけて涙ぐむ――といったものです。撮影前のセッティング中の時間は「まだ、まだ」とあまり考えないように努めていました。僕自身がまだまだこうした経験が少ないため、「こうやれば本番にちゃんと合わせられる」という理論がまだ固まっていないのです。そこでセッティングが完了するまでは道端の花を触ったりしてなるべく意識をそらしていました。 だから逆に、そのシーンの撮影が終わって「やっと泣いていいんだ」と我慢せずに号泣するような形でした。終盤に豊が涙するシーンがありますが、カットがかかった後も涙が止まらず、「お疲れ様でした」と車に乗ってからもずうっと泣いていました。そのとき「自分は、この作品にちゃんと向き合えていたのかもしれない」と感じました。