門脇麦が見た台湾映画の魅力 出演作『オールド・フォックス 11歳の選択』シャオ・ヤーチュエン監督と語る
門脇麦は「とても成熟した役者」
―監督は門脇さんの第一印象と、実際にお仕事をされた印象はいかがでしたか? シャオ 『浅草キッド』を観たとき、非常にまなざしが力強い方だと思いましたが、今回も素晴らしい視線を見せてくださいました。ジュンメイは自分の孤独や傷を言葉で語らない役なので、麦さんが目で表現してくださったんです。カメラマンや編集マンとも「いい目だね」と話していました。 ―撮影現場ではどんな話し合いをされましたか? 門脇 役づくりを任せてくださったので、特別な話し合いはなかったですね。 シャオ 撮影が始まる前、時代設定や役柄についての手紙をお送りしたんですが、その内容をきちんと把握されていたので、現場であれこれと話す必要はありませんでした。「裕福な家に生まれ、奔放に育ったから少しわがままで……」と再度お伝えしたら、あとはご自身の解釈で演じてくださった。とても成熟した役者さんだと思います。 ―ジュンメイは物語上の立ち位置がやや特殊ですし、日本人の門脇さんが演じたからか、どこか異質な印象もあります。 シャオ ジュンメイとタイライは同じ中学に通っていたので、昔は社会のなかで同じ階層に属していました。けれど大人になったら、彼女が幸せかそうでないかは別にして、明らかな階層差がついてしまった。そんな異質さもあるのかもしれません。 門脇 映画を観たとき、ジュンメイの出番は多くないのに、彼女がどんな人間で、彼女と関わるタイライがどんな人なのかがより深く理解できたんです。リャオジエ少年に影響を与える役ではありませんが、タイライの人格を語る上で欠かせない女性ですね。
台湾映画にあって日本映画にないもの
―門脇さんにとって台湾映画の魅力とは? 門脇 私はホウ・シャオシェン監督の作品など、台湾ニューシネマの映画が好きなんです。台湾という土地や、歴史と社会の問題が映画から決して切り離せない、台湾でなければ撮れなかったような作品がとても多いですよね。台湾のリアルを知らない私でも、当時のリアリティや生々しさを感じられるような。 シャオ ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンら台湾ニューシネマの監督は、当時の台湾の現実や、人びとのリアルな生活を描こうとした初めての世代でした。それ以前は教育映画やメロドラマなど、観客の実生活から遠い映画が多かったんですよ。僕たちも、台湾の地や台湾人の生活に向き合うことを彼らの世代に学びました。 門脇 台湾で映画を作っている人たちには、台湾についての思想や文化がそれ以前の世代からきちんと引き継がれているように思うんです。それって、日本にはあまりないことのような気がして……。日本は終戦から80年近く経ちますが、私も含め、若い役者がそういう日本で起きた出来事を日々肌で感じながら生きているのかといえば、「そういう俳優がたくさんいます」とは胸を張って言えないかもしれません。 ―その点で台湾は、国民党による言論弾圧が行われた戒厳令の解除から40年と経っていません。歴史的事柄との距離感が、映画製作に与える影響も大きいのでしょうか。 シャオ そうですね……。(と少し考えて)歴史もそうですが、台湾という場所は、今でも中国の存在が切実につきまといます。自らの土地や社会を語るうえで、また僕たちが映画を撮りながら生きていくうえで、中国は決して無視できないし、そのことに向き合うのは難しさも伴うもの。自分たちの歴史を振り返るだけでさえ、中国の影響はありますから。 ―作風などの面で台湾ニューシネマ世代から受けた影響はありますか? 本作でも台湾の街や文化を丁寧に撮っていますし、食事や料理の撮り方にもこだわりが見えます。 シャオ そうした影響は特にないですが、文化や物事の見方はやはり近いですよね。食事のシーンで言えば、人は自宅の外、すなわち公の場ではほとんど本音を語らないものです。なぜなら本音を口にすれば、矛盾が起きたり、他人と衝突したりするから。にもかかわらず、食事の時間はそんな事件が起こりやすい。僕は「人の本音が出るのは食卓か車内だ」と考えているので、その2つの場面にこだわるんです。それは台湾ニューシネマ世代の影響というより、僕らと先輩方、両方の世代に共通する文化だと思いますね。 ―残念ながら日本公開作品はまだ少ないものの、監督の過去作は硬派な作風で、社会や歴史への確かな視線があります。その一方、監督はCMディレクターでもありますが、創作のモチベーションはどこにあるのでしょうか? シャオ 僕が映画を撮る動機は、自分の価値観や、その時々の葛藤です。複雑な物語と人間関係を描きたい思いもあります。しかし、前作の『范保德(原題)』(18)は、台湾でもあまり受け入れられずにとても苦労しました。CMの世界で長年クライアントのことを考えてきたぶん、「映画ではそういうことは考えないぞ」と思い、観客のことをまるで考えずに作りたいものを作った結果、本当に大変な思いをしたんです。もちろん、僕も作り手としては観客に届くものを作りたい。しかし、そのために自分の意志を歪めたくはない。今回はまさに葛藤しながら、過去の自分から変わろうと懸命に努力した作品でした。