イギリス軍ならではの「贅沢」な装甲兵員輸送車【プリースト・カンガルー】─戦車ビフォー・アフター!─
戦車が本格的に運用され「陸戦の王者」とも称されるようになった第二次世界大戦。しかし、戦車とてその能力には限界がある。そこでその戦車をベースとして、特定の任務に特化したAFV(装甲戦闘車両)が生み出された。それらは時に異形ともいうべき姿となり、期待通りの活躍をはたしたもの、期待倒れに終わったものなど、さまざまであった。 イギリスは第2次世界大戦の緒戦において、戦車の性能でも戦車兵の練度でも格上のドイツ機甲部隊と戦い、大きな犠牲を払うことになった。そこで、不足する戦車をアメリカから入手して補った。 アメリカから最初に供給されたのはM3スチュワート軽戦車で、続いてM3リーまたはグラント中戦車が到着。最後がM4シャーマン中戦車で、終戦まで供給が続いた。この一連の動きの中で、M3中戦車とM4中戦車の車体に105mm榴弾砲(りゅうだんほう)を搭載した自走野砲のM7も、イギリス軍に供給された。 イギリス軍は、戦車の制式名称をアメリカ軍のようにM3とかM4といった型番ではなく愛称としており、既述のスチュワートもリーもグラントもシャーマンも、すべてイギリス軍が付けた愛称で、それがアメリカ軍にフィードバックされたというのが実情である。 このような理由により、M7にはプリースト(牧師の意)という愛称が付けられたが、これは車体右前部に設けられた機関銃座が、教会の説教台のように見えることにちなむ。 やがて連合軍が優勢になってくると、イギリス軍はアメリカ製の105mm榴弾砲ではなく、自国製の25ポンド野砲を重用するようになり、カナダで生産が始まったM4のカナダ改修型をベースにした25ポンド野砲を搭載するセクストン自走榴弾砲を主要するようになり、プリーストの出番が減った。 そこでカナダ軍は、余剰となったプリーストのオープンな車体に目を付け、105mm榴弾砲を撤去し、車体前部の砲のための開口部を鋼板で閉鎖。車内に12名分の席を増設し、装甲兵員輸送車化した。当時普及していた兵員輸送用のハーフトラックは、全装軌式の戦車に比べて不整地走行性能に劣っていたが、戦車ベースの自走砲を改造した車両なので、戦車と同等の走行性能を備えるため、戦車部隊との協同戦闘に最適であった。 カナダ軍は、腹部に袋を持ちその中で仔を育てる有袋類(ゆうたいるい)のカンガルーのように、オープンの装甲車体の中に歩兵が乗車するので、本車をプリースト・カンガルーと命名。同軍のみならず、イギリス軍も大量に装備するようになった。以降、イギリス連邦軍では、戦車の砲塔を撤去して装甲兵員輸送車化した車両の場合、元の戦車名の後ろにカンガルーを加えて、たとえばシャーマン・カンガルーのように「〇〇カンガルー」と呼ぶようになる。 イギリス連邦は、アメリカから戦車や自走砲を潤沢に供給された結果、旧式化したそれらを他の任務に転用するという「贅沢」ができた。プリースト・カンガルーは、その最たるものといえよう。
白石 光