『どさん子』『どさん娘』『どさん子大将』70年代の「味噌ラーメン」ブーム後も『どさん子』が生き残った理由がすごかった
昔ながらのラーメンチェーン『どさん子』。 赤地の看板にペリカンのロゴが昭和生まれには懐かしく感じる人が多いかもしれない。 ■【画像】イメージ一新!「これが『どさん子』!?」雰囲気激変の店舗の写真はこちら■ 『どさん子』は1970年代から幹線道路沿いを中心に急激に勢力を伸ばし、一時は1200店舗まで拡大、全国に空前の味噌ラーメンブームを巻き起こした。 2024年の現在では、チェーン系ラーメンの店舗数1位が『幸楽苑』の364店舗、2位が『スガキヤ』の256店舗、3位が『来来亭』の249店舗となっていることから考えても、当時の『どさん子』の爆発的な盛況ぶりが分かる。 だが『どさん子』の躍進は、強力なライバルも生み出した。 名前が瓜二つの『どさん娘』(ピーク時800店舗)と『どさん子大将』(ピーク時700~800店舗)だ。この2つは『どさん子』の姉妹チェーンと認識している人も多いが、そうではない。この仁義なき戦いは 、いつからか“味噌ラーメン三国志”と呼ばれるようになる。 ちなみに『どさん娘』は、『どさん子』から訴訟を起こされて敗訴し、読み方を「どさんむすめ」に変更を余儀なくされた経緯もある。このことからも、いかに三つ巴の争いが過熱化していたかが分かるだろう。 そして現在、『どさん娘』と『どさん子大将』は親会社が撤退。現在も加盟店の一部は当時の看板を上げ続けているが、FCとしては機能していないという。 なぜ、『どさん子』だけが生き残ったのか? 『どさん子』を運営するアスラポート株式会社・FC事業部の若林弘宣氏に話を聞いてみると、その理由が見えてきた。 「『どさん子』の前身は1961年に墨田区でオープンした『餃子飯店 つたや』。『どさん子』としてチェーン展開を開始したのは67年で、本格化させたのが70年代に入ってからです」(若林氏、以下同) 当時、日本にはまだフランチャイズという概念がなかったそうだが、 「アメリカでマクドナルドのビジネスモデルが成功し、それがちょうど日本にも上陸するようなタイミングだったんです。そこで我々『どさん子』もチェーン展開に舵を切り始めました」 チェーン展開の黎明期には、創業者の青池保氏が直接店舗に作り方を教えに回ったこともあったという。また各地域には拠点となるFC店があり、新規オープンする店主はそこに修業に出向くことも多かった。 ただし、現在のフランチャイズパッケージとは性質が異なる点もあった。 「フランチャイズチェーンの特徴である“全メニュー統一”というスタイルではなかったんです。地域密着型の店舗を構築していくため、メニュー内容はそれぞれ異なっておりました。元祖味噌ラーメンという定番メニューやグランドメニューのレシピはあったものの、本部より許可が下りれば加盟店は自由にメニュー導入ができる仕組みでした」 現在も『どさん子』にはカレーや丼物、アルコール類を提供してくれる店舗が存在する。このように、チェーン店ながら自由な店舗作りが可能な点が、消費者にとっても加盟店にとっても魅力だったことは間違いないだろう。 それにしても、なぜここまで急速に店舗を拡大できたのか? その理由について若林氏は「全国規模では、まだ味噌ラーメンの存在が珍しかった」「特に週末、幹線道路沿いや生活環線道路の店舗でファミリーが外食する機会を増やした」という2点を挙げる。 それに加えてオーナー側からは「加盟条件が緩く、脱サラにも向いていた」という声も聞こえてくる。現在のFC飲食店に比べてロイヤリティが非常に低く設定されていたので、初期投資が安く済んだのだ。 「そもそも当時の『どさん子』本部は食材卸をメインとしていましたから。加盟条件のハードルが低かったのは、そのためです。さらに付け加えると、出店エリアも縛りがなかったため、地元出店できるのもよかったのかと思っています。現在でも小豆島、淡路島、新島といった地域に『どさん子』は店舗がありますし」 そうは言っても、大事なのは味。素人が簡単においしいラーメンをすぐに作れるとは思えないが、 「『どさん子』ラーメンを作るうえで一番のポイントは北海道『岩田醸造』の赤味噌になりますが、これを本社がラーメン用にまとめて加工しています。各店舗はそのラーメン用味噌に複数のスパイスや他の味噌を加えていく。この味噌を練る工程が現在までつながる『どさん子』のこだわりであり、ある意味、他社では真似できない強みでもあります」