不要になった軍用犬を檻に入れて海に沈め……戦争に動員された犬の末路 シェパードはなぜ警察犬の代表格になったのか?
戦場で戦うのは、兵士や兵器だけではない。今なお世界各地の戦場に決して少なくはない数の軍用犬が投入されている。日本でも、かつてはジャーマン・シェパード・ドッグを中心に多くの犬を戦地に送り込んでいた。今回は、シェパードが軍用犬ではなく警察犬として日本に広まっていった過程を追う。 ■戦争で命を落とした軍用犬たち 筆者は、この連載の9回目に「戦場に駆り出された軍用犬の悲劇」を書いている。ジャーマン・シェパード・ドッグに代表される軍用犬は、満州事変で注目され、陸軍もその必要性を認識した。 その結果、軍用犬を束ねる組織が必要ということになったのである。満州は広大で、人がいない地域に南満州鉄道が延々と伸びており、その監視にも犬が必要だった。 軍用犬については、すでに歩兵学校が大正時代から研究を始めていた。しかし陸軍全体では、軍用犬はずっと軽視されてきた。そのため、軍用犬に着目したものの、陸軍には犬も訓練も不足していた。 そこで満州事変の少し前、昭和3年(1929年)に発足していた日本シェパード倶楽部の吸収が企図されたのである。当時、シェパードを飼うのは富裕層の趣味だった。彼らはドイツから直接シェパードを輸入し、血統の確立もめざしていた。 こういうシェパード好きの富裕層の典型が、繊維商社・田村駒商店の代表取締役だった田村駒治郎である。田村は仕事熱心でユーモアもあり、愉快で豪放磊落な人物だった。大の野球好きで、戦争前は大東京軍、戦争後は松竹ロビンスなどのオーナーになった。 田村の邸宅・一楽荘は甲子園にあり、土地1万坪、建坪800坪という広大なものだった。そこに十数棟の犬舎が並び、約50頭のシェパードが飼育されていた。その中には、現代のレートにして3000万円もするドイツ産の名犬もいた。 田村は犬の訓練士もドイツから呼んでいた。そのドイツ人、カール・ミュラーは戦争中も日本で過ごし、母国に戻らずに生涯を終えている。こういう愛犬趣味の富裕層は、陸軍とは肌が合わなかった。 しかし、時代はどんどん戦争に傾き、日本シェパード倶楽部の内部にも、陸軍の意向に同調する理事が現れる。最後は陸軍大臣から直々に働きかけがあり、ついに犬籍簿も渡して解散した。発足した帝国軍用犬協会は「軍犬報国」を掲げて熱心に飼育者を勧誘した。 会員は業者からシェパードを購入して飼い、訓練して、帝国軍用犬協会が主催する購買会に出すのである。そして買い上げられると軍犬になる。実際には購買会に出さない飼い主も少なくなかった。それでも多くの犬が、軍犬として武運長久の襷をかけ、華々しく送られて出征していった。 戦場で軍犬は大切にされた。軍犬を一頭育てるのには、お金も手間もかかっている。弾除けとして消耗品にされた兵士たちは、「俺たちは軍犬以下だ」と嘆いたほどだ。 だが、戦局の悪化で人間の食糧もない中、犬は疲弊し病にかかり、次々に倒れていく。その悲惨な実態の貴重な記録が、志摩不二雄著『軍犬ローマ号と共に ビルマ狼兵団一兵士の戦い』(光人社ノンフィクション文庫)である。 筆者は、上官からの壮絶な暴力に苦しみ、仲間たちの裏切りにあいながら、ローマ号と共に過酷な軍隊生活とビルマの戦場を生き抜いた。常にそばにいて、何度も命を救ってくれたローマ号は最期、動けない体で首をわずかに上げ、筆者を見たのだった。この本は戦場の真実をありのままに記した、戦記ものの最高傑作である。 さて、そんな軍用犬は敗戦後どうなったのか。多くの軍用犬は戦地で命を落とした。国内に残っていた軍用犬には新しい飼い主を探したものの、引き取り手は見つからない。 社会は混乱し、食糧不足で餓死者も出ていた時代である。詳しい記録は残っていないが、処分に困って檻に入れたまま、海に沈めたという証言もある。当然、帝国軍用犬協会は解散となった。 ■戦後、シェパードは警察犬の代表格になっていく ただ、出征せずに残っていたシェパードも少なくなかった。そこで、帝国軍用犬協会に合流しなかった理事たちが集まっていた日本シェパード犬協会が、いち早く立ち上がる。 早くも敗戦から3ヶ月後には、世田谷で鑑賞会を開いた。多くの軍犬が出征していた満洲からも、関係者たちが次々に帰国する。シェパードの愛好家たちも再結集を望むようになった。 そこで、「愛犬趣味を通じて社会に貢献する」という新しい標語を掲げ、昭和22年(1947年)に日本警察犬協会が発足したのである。「軍犬報国」からの大転換だった。当時は治安が悪く、番犬の需要があったことも追い風になった。 現在、シェパードをはじめエアデール・テリア、ボクサー、ドーベルマン、コリー、ゴールデン・レトリーバー、ラブラドール・レトリーバーの7種が、警察犬の指定犬種となっている。昭和27年(1952年)には嘱託警察犬制度が創設され、一般人が飼っている他の犬種でも、試験に合格すれば非常勤の警察犬になれる。 しかし日本では、警察犬と言えばシェパードの印象が強い。口吻の尖ったスピッツ系の顔、背中が黒い三色の被毛など、シェパードが醸し出す精悍な魅力は独特のものだ。シェパードは盲導犬の代名詞になっているリトリーバーと共に、使役犬の頂点に立っている。 だが世界ではまだ、多くのシェパードが軍用犬として任務についている。アフガン戦争やイラク戦争にも、多くのシェパードが出征している。彼らは人間と共に行動し、時に傷つき時に命を失った。 2011年5月2日、同時多発テロの首謀者とされているウサマ・ビン・ラディンの自宅が急襲された時も、アメリカ軍特殊部隊の先頭に立って突入したのはシェパードの軍用犬で、銃撃戦に巻き込まれて死亡している。 昨年末にイスラエル軍は、ハマスがガザ地区に張り巡らした地下道の映像を公開した。それは、軍用犬の首に取り付けたカメラが撮影したもので、暗くて細い地下道をぐんぐん進んでいく犬の頭が、画面の下部に写っていた。 日本では今、シェパードは警察犬としてパレードや小学校での防犯訓練などに参加し、拍手喝采を浴びている。最近は警視庁も、公式YouTubeチャンネルで警察犬の紹介に力を入れ、訓練所に入所したての仔犬が人気を集めている。こうしてシェパードがいつまでも、平和な日本で穏やかに暮らしていけることを願ってやまない。
川西玲子