音楽が「聴く」から「観る」時代になった8月1日…43年前、音楽業界の仕組みを変えてしまった“見えるラジオ”・MTVが開局
MTVは音楽業界の仕組みを変えていった
レコード会社が作り方自体を模索していたビデオクリップにも、1980年代中頃になると次の段階がやって来る。 知名度の高いアーティストを中心に、それまでの宣伝ツールから、“作品主義”として転化する動きが本格化。 例えば、マイケル・ジャクソンの『スリラー』は約15分にも及ぶ映像作品で、通常予算の10倍とも言われる莫大な制作費が投下されていた。 もはやライブやステージでの演奏を単に撮影するだけでは視聴者は満足しない。ドラマチックな演出や目を見張るような加工が必要なのだ。 1984年から開催されたMTVアワードの設置によって、音楽ビデオを専門に手掛けるMVディレクターというクリエーターの存在にもスポットライトが当たるようになった。 こういったビデオクリップが提供する世界観は絶大な効果を生み、曲が収録されたアルバムには驚くべきミリオンセラーやロングセラーが続出。 プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィ、フィル・コリンズ、ジョージ・マイケル、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイスなどが全米だけで1000万枚規模のセールスを記録したのは、この影響力なくして語れない。 もともと映画という背景がある『フラッシュダンス』や『フットルース』をはじめとするサントラ盤の大量ヒットも、この時代の必然だろう。 こうしてMTVはヒットチャート至上主義的な編成に偏っていくが、そんな徹底した商業的な動向は、次第に反骨精神旺盛なインディーズ・バンドたちをカレッジ・ラジオによる独自のネットワークへと向かわせ、後に「オルタナティヴ・ロック」として彼らにメインストリームを逆転されてしまうのは、何とも皮肉な出来事だった。
親が寝静まった後に訪れた夢のような時間
ところで、当時まだCATVの土壌がなかった日本では、若者受けが100%約束されたこの新しい音楽メディアに対してどんな動きがあったのか、少し思い出してみよう。 1981年に『ベストヒットUSA』、1983年に『SONY MUSIC TV』、1984年に『ザ・ポッパーズMTV』などが民放テレビで始まって、その雰囲気を丁寧に伝えてくれていた。 真夜中に放送されるそれらの情報番組は、音楽を心の底から愛する少年少女たちにとって、親が寝静まった後に訪れる夢のような時間だった。そしてビデオ・ジョッキーのマーサ・クィンに恋したりもした。 次に流されるビデオクリップやアーティストの最新情報が楽しみでたまらなかった。そして印象的なジングルとMTVのロゴは、いつも遊び心に満ち溢れていた。深夜の創造力をかき立ててくれた。 1990年代後半にネット・カルチャーが台頭して、好きな時に好きなものをというニーズが高まるにつれ、ビデオクリップを一方通行的に流すプログラムは徐々に存在価値を失っていく。以後、MTVはドラマやリアリティ番組がメインとなった。 今夜はあの頃のように、YouTubeやサブスクで好きなビデオクリップをひたすら観るような、そんなひとときを過ごしてみるのもいいかもしれない。もちろん子供が寝静まった後に。 文/中野充浩、TAP the POP 写真/Shutterstock
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