「あのネオンだけは、残したほうがいい」二度と光ることがないネオンを気遣ったリリー・フランキーと館主を救った高倉健さんの手紙〈北九州市・昭和館〉
映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日 #2
北九州市の老舗映画館「昭和館」が火事で消失した次の日、すぐに連絡をくれたのがリリー・フランキーさんだったという。北九州出身の俳優、映画監督など関係者たちからも続々と応援メッセージが届いた。そんなときに館主が思い出したのは、2009年に高倉健さんからいただいた手紙だった。 【写真】小倉昭和館のネオン
書籍『映画館を再生します。 小倉昭和館、火災から復活までの477日』より一部抜粋し、高倉健さんの手紙を紹介する。
リリーさんが助けてくれた
翌日。 8月11日は、すべての予定をキャンセルしました。 ニュースは、全国に流れました。あれほどの火事でしたが、亡くなった人はいなかったようです。怪我人も出ませんでした。 昭和館をずっと応援してくださっていた方々、仲代達矢さん、奈良岡朋子さん、栗原小巻さん、光石研さん、岩松了さん、片桐はいりさん、吉本実憂さん……。映画監督の平山秀幸さん、タナダユキさん、片渕須直さん、江口カンさん、松居大悟さん……。作家の村田喜代子さん、田中慎弥さん、福澤徹三さん、町田そのこさん……。 もう数え切れない方々から、ご連絡をいただきました。 祝日なので、主人も家にいます。息子と3人で、旦過に行きました。 日中は、うだるような暑さでした。空は曇りがちで、あたりは蒸しています。雨が降らないのも、幸いでした。 瓦礫の残骸が、積み上がっています。35ミリの映写機は、2台とも焼け残りました。たとえ瓦礫になったとしても、昭和館が存在した証です。愛着がないはずがありません。 チケット売場のあたりが、かろうじて形状を留めていました。残骸からガシャガシャと引き下ろされているのは、「昭和館①②」のネオンの看板です。 ニュース映像を見ていたリリー・フランキーさんが、すぐに連絡をくれて、「あのネオンだけは、残したほうがいい」と助言してくれていたのです。 リリーさんは、北九州で生まれています。昭和館80周年のお祝いには、こんなメッセージを寄せてくれました。 「自分の両親や、祖父母、世代を越えた様々な人々が、ここで笑い、涙したことを想像するだけで、この場所が愛しくなる。これからも、ずっとあり続けてほしい場所」 あのネオンを、瓦礫にしてはいけない。 わたしは走って、作業している人たちに訴えました。 「すみません!あのネオンの看板が、うちの象徴なんです。あれだけは取っておいてほしいんです」 路地を照らしていたネオンは、見る影もありません。二度と光ることはないでしょう。それでも瓦礫と思えませんでした。 顔見知りの警察官の口添えで、初めて現場に入りました。 「昭和館」の3文字が赤、「①」が青で、「②」が緑。この「昭和館①②」の看板を、取り外してもらいました。 想像以上の大きさでした。 「チケット売場」の表札も取り外しました。これだけは家に持ち帰りました。 耐火金庫も出てきました。 「いまだったら、開けてあげられる」と重機の人が言ってくれたので、お願いしますと頼みました。 すごい音で、ショベルをガンガンと打ち付けます。耐火金庫のコンクリートと鉄の間から、保護している砂が大量に出てきました。それを何度か繰り返して、ようやく中身を取り出せました。 金庫にあったのは、お稲荷さんの預金通帳でした。映画館の隣りにあって、お預かりしていたのです。次の日には銀行に行って、通帳を新しくしてもらいました。 ほんのわずかですが、売店の売り上げや、アルバイト代も出てきました。昭和館のネオンは、瓦礫の片隅に置かせてもらいました。