「今さら何だ?」最悪の出会いから15年後に今田耕司が中山秀征を呼び出し…明かされた当時の心境とは
バラエティ番組の名司会者・MCとして名高い中山秀征(57)と今田耕司(58)との、最悪とも言えるファーストコンタクトについては前回の記事(中山秀征「生放送でオレを潰しにきている」…和解まで15年かかった今田耕司との“最悪な出会い”を語る)でご紹介した通り。 2人がダブルMCとして初共演を果たしたのが、1993年にスタートした『殿様のフェロモン』(フジテレビ系)だが、2人はまったく噛み合わず、番組はギスギスした緊張感に包まれたまま、半年で終了してしまった。 それから15年後、中山は突然、今田から五反田の料理店に呼び出された。そこで今田の口から語られた、当時の心境とは――。 【写真を見る】初対面の中山秀征にいきなりハグ! 元祖「癒し系女優」が可愛すぎる ※以下、『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』中山秀征[著]、新潮社より引用・再構成しました。 (全3回の第2回) ***
15年後の「打ち上げ」
『殿様のフェロモン』は、30年前ですらコンプラ的にアウトだった「ハケ水車」や、私物を破壊するドッキリなど、尖りすぎた企画で熱狂的なファンを生みましたが、のちに伝説として語られる番組もわずか半年で終了してしまいました。 それから、15年ほど経った頃です。 「実は、今田さんから『中山さんと飲みたい』と言われていまして……」 事務所の後輩、ザブングル(当時)の松尾陽介くんを通じて今田さんから“意外な誘い”を受けました。当時は“不穏試合”と言われるほど噛み合わなかった僕らも、その後、他の現場で会えば、普通に挨拶を交わすくらいの関係にはなっていました。 とはいえ、昔を懐かしむような間柄でもなかったので「今さら何だろう?」と意図を掴みかねていました。 場所は五反田の鍋料理店。久々に会った今田さんとの会話は少しぎこちない感じで始まりましたが、話が進むにつれ、今田さんは「あの時は迷惑をかけた……」と“若気の至り”を詫びてくれたのです。 これには少し面喰らいましたが、続く一言に、とても驚きました。 「あのスタジオで、テレビのことを分かっていたのはヒデちゃんだけやった……」 この言葉をどう受け止めて良いのか、戸惑う僕に、今田さんはなおも続けます。 「あの時、ヒデちゃんは、みんなに振って、誰かがスベっても拾って……。正直、俺は、『なんで拾わなアカンねん』と思ってた。でも、俺は今、テレビで“それ”をやっている……」 今田さんは、テレビ番組のMCとして“全体を見る”ことの重要性に気づいたのは、僕が「殿フェロ」で貫いた姿勢が少なからず影響している、と言うのです。 そんな今田さんの言葉は、嬉しくもあり照れくさくもあり、同時に、そのことを素直に口にできる真摯な姿勢に頭が下がる思いでした。 東京のテレビタレント・中山秀征が、『オールナイトフジ』のような楽しいノリを求め、ナイナイ、よゐこ、極楽とんぼら、後の「めちゃイケメンバー」が、必死に爪痕を残そうともがく中、今田さんは「ダウンタウンファミリー」という大看板を背負い、孤独な戦いに挑んでいたのです。 東京での初司会――。「東京のテレビに負けてたまるか!」。その覚悟を思うと、僕を“中山クン”と呼び、潰しにきた理由も、少しだけ理解できた気がしました。 実は、「殿フェロ」の中で、僕は今田さんのことを「今ちゃん」ではなく「耕ちゃん」と呼んでいました。今思えば「俺も頑なだなぁ……」と、自分の“若さ”に笑ってしまいます。 六本木の決起会からほとんど会話らしい会話もなかった“中山クン”と“耕ちゃん”は、15年越しの打ち上げで“ヒデちゃん”“今ちゃん”と呼び合い、朝まで酒を酌み交わしました。当時の答え合わせや、これからのテレビについて楽しく語り合いながら……。 わずか半年で終わった「殿フェロ」ですが、今もテレビのスタッフさんやタレントさんから、「あの頃、毎週観てたんです!」と、やたら高い熱量で言われることの多い不思議な番組です。当時の“テレビ好き”に強烈な印象を与えたのは、そこに“戦い”があったからではないかと、僕は思っています。 僕はそれを「お笑い教」と「テレビ教」の「宗教戦争」のようなものと思って戦っていました。でも、今となっては、「テレビバラエティ」という枠組みの中で、それぞれが、自分の信じる「教え」を貫こうとして起きた“宗派争い”だったのではないかと捉えています。当時はバチバチだったUWFとプロレスも、総合格闘技の登場によって、その立ち位置を大きく変えています。 多様な価値を認め合う今の時代と違い、90年代のテレビバラエティは、「笑いはストイックであるべき!」「テレビはみんなで楽しく作るべき!」と、それぞれが自分の「べき」を貫き、主張が違う者同士は、批判こそしても、共演はしなかった。そんな時代に、異種のスタイル同士ぶつかり合えたのは、とても貴重な経験だったのかもしれません。 今ちゃんこと今田耕司さんは、生放送で真剣勝負を戦った“テレビ界の戦友”です。 *** これは、90年代のテレビバラエティ黄金時代を必死に生き抜いてきた2人だからこそ語ることができる、アナザーストーリーなのだろう。 そして、「負けてたまるか!」と思っていたのは、今田だけではなかった。今田を頑なに“今ちゃん”とは呼ばなかった中山の胸中にも、実は複雑な思いがあり、意地を張っていたそうだ。 どちらも当時20代半ば。「若気の至り」はお互い様だったのである。 当時、中山が抱いていた複雑な思いについては、第3回記事(“芸人”を貫いた「今田耕司」と“テレビタレント”を選んだ「中山秀征」 芸人を諦めたヒデちゃんの複雑な胸の内)で紹介している。 Book Bang編集部 新潮社
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