【こどもの日】万年補欠の野球少年が日本代表の“鉄人”に!? ラグビー元日本代表・大野均
現役時代、歴代最多となる日本代表98試合出場を積み重ねた大野均さん(東芝ブレイブルーパス東京アンバサダー)。子供の頃からラグビーエリートとしての道を歩んできたのだろうと想像しますが、実はラグビーを始めたのは18歳のとき。しかも、それまで熱中していた野球では万年補欠だったと言います。そんなラグビー界のレジェンド・大野均さんはどのような幼少期を過ごし、そしてどうやってラグビーに出会ったのでしょうか。
■小柄な両親のもとで192㎝に!?
192cmの長身がひと際目をひく大野均さん。その丈夫な体はどのようにつくられたのか。福島・郡山の農家に生まれ育った幼少期のことを聞いてみました。 大野「子供の頃から、農作業の手伝いをしていました。そして、家で採れた野菜と米をたくさん食べて。飼っていた牛から搾った牛乳を水代わりに飲んでいましたね」 自分の体は農作業と食事で作られたと分析する大野さん。「自然と体が強くなり、結果的にラグビー選手として長くプレーできるところにつながったのでは」と、穏やかに話します。 両親も大柄なのだろうと思っていたところ、大野さんの口からは信じられない言葉が出てきました。 大野「父も母も大きくないんです。むしろ小柄な部類だと思います」なぜ均少年だけが大きくなったのか。大野さん自身も「分からない」そうです。ただ、「とにかくたくさん寝ましたね。ラグビーを始めてからも感じましたが、大きい人は寝ることが好きな人が多い気がしています」と話します。
■万年補欠だった野球少年時代
スポーツが盛んだったという地元・福島で、たくさんのスポーツと自然に触れていた均少年は、小学4年生から郡山市の『三穂田野球スポーツ少年団』で野球を始めます。後にラグビーの"鉄人"となる9歳の少年は、ここでスポーツ選手としてのキャリアをスタートさせました。 「野球はとにかく楽しかった」という大野さん。迷うことなく、中学・高校と野球部を選択します。ポジションは外野手。当時から頭一つ抜けていたという高身長を生かし、活躍していたものと思いきや、大野さんは「中学も高校もずっと控えで、ベンチに座っている時間の方が長かったですね」と明かします。ただ、グラウンドではかなり目立っていたようで、試合中、相手ベンチの選手が大野さんの方を見ながら何やら話していたことがあったそうです。 大野「『でっかい奴がベンチに座っているぞ』『チャンスに代打で登場する秘密兵器だぞ』と、相手に思われて警戒されていたみたいです。でも、試合終了まで秘密のまま終わることがたくさんありましたね(笑)」