竈門(かまど)の渡し舟【昭和47年・1972】~RKKニュースミュージアム~
昭和47年(1972)5月、玉名郡和水町(なごみまち)の竃門(かまど)地区の子供達が渡し舟で通学する映像です。 【写真を見る】竈門(かまど)の渡し舟【昭和47年・1972】~RKKニュースミュージアム~ 竈門地区は菊池川沿いの集落ですが、当時は近くに橋がなかったため、対岸の学校へ通う子供達は渡し舟で川を渡っていました。しかし雨期になると川が増水するため、5Km先まで遠回りして通学することになります。そのため保護者や学校関係者は近くに橋が出来ることを切望していました。当時ニュースはこう伝えています。「玉名郡菊水町(現:和水町)竈門地区の子供達およそ30人は渡し舟で学校と保育園に通っており、保護者たちは梅雨入りを前に“早く橋を作って”と陳情を続けています。 菊水町(現:和水町)の西方、菊池川の東側におよそ80戸が点在するこの竈門地区から渡し舟通学をしているのは、小学生・保育園児合わせて約30人。 川幅120mの間に渡された綱を頼りに、船頭さんが長さ5mの小舟を操っていますが、増水期には下流5kmの橋まで遠回りして通学しなければならず、どうしてもこの舟に頼りがち。これから梅雨へ向けて万が一のことがなければよいがと心配されています。 保護者や菊水西小学校の有富校長らは、小さくとも橋が欲しいと町に陳情を続けていますが、木橋でも1500万円かかると渋い顔。また県では利用者が少なく産業振興にもつながらないと冷たい態度で、今のところ目途が立っていません。」 その後昭和55年(1980)、この地区に「竈門大橋」が建設されました。
熊本放送