偶然の出会いから生まれた「若者たち」のヒット ほれ込んだ森山良子のスカウトに現れた…黒澤久雄と作った卒業記念アルバム
【Jポップのパイオニア 本城和治の仕事録】 ブラザーズ・フォアなど米国のモダンフォークが人気を集めた1960年代、東京にフォークやカントリーを扱う学生音楽団体「スチューデントフェスティバル」があった。日頃より新しいポピュラー音楽にアンテナを立てていた本城和治は、彼らが主催するコンサートに出場する1人の少女の歌声に魅了される。 【写真】オシャレなファッションでポーズをとる森山良子 「成城学園に通う高校生だった森山良子です。ピュアな声と卓越した歌唱力。彼女となら新しい和製ポップスを作っていけると確信しました」 アマチュアフォーク界で注目された森山だが、本人は芸能界に興味がなく、スカウトに赴いた本城の前に現れたのは同じ高校の先輩、黒澤久雄(映画監督・黒澤明の長男)だった。 「当時の彼は成城大学の3年生。黒澤家と森山家は家族ぐるみの付き合いがあったようで、良子ちゃんの代理人的な立場でした。話をするうちに彼が結成したザ・ブロードサイド・フォーを近々解散するというので『だったら卒業記念にアルバムを作ろうよ』ということになったのです」 黒澤の甘い声と洗練されたハーモニーが魅力のブロードサイド・フォーはスチューデントフェスティバルでも評判のアマチュアのフォークグループ。当時はフジテレビ系の連続ドラマ「若者たち」(66年)の主題歌を歌っていた。 「翌67年に映画版の公開が決まっていたので、アルバムには映画の主題歌用に新たにレコーディングした『若者たち~空にまた陽が昇るとき』を入れました。それを先行シングルとして66年8月に発売したところ大ヒットを記録したのです」 同曲は坂本九、森田健作ら多くの歌手にカバーされ、70年代には音楽の教科書にも掲載。2014年にリメークされた「若者たち2014」(フジテレビ系)では森山良子の長男、森山直太朗の歌うバージョンが主題歌に起用されるなど、息の長いスタンダードソングになっている。 ちなみに本城がほれ込んだ森山良子は67年1月にシングル「この広い野原いっぱい」でデビュー。同年8月にスチューデントフェスティバルのエンディングの定番曲だった「今日の日はさようなら」を初めてレコード化するなど、着実にヒットを重ねていく。 (濱口英樹) ■本城和治(ほんじょう・まさはる)1939年生まれ。62年、日本ビクターに入社。洋楽ディレクターから邦楽の制作に転じ、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズなど11のGSバンドのほか森山良子、尾崎紀世彦、大橋純子らを担当し、ヒット曲を量産。現在、濱口英樹氏が構成した制作回想記「また逢う日まで~音楽プロデューサー本城和治の仕事録」(シンコーミュージック・エンタテイメント)=写真=と2枚組CD(ユニバーサル ミュージック)が好評発売中。