示した可能性と突き付けられた現実 宮崎で生まれた2人のFWが初の国際舞台で感じたこと
11月11日にインドネシアで幕を開けたU-17ワールドカップ。若き日本代表はラウンド16でスペインに1-2で敗れ、3大会連続でノックアウトステージの初戦で姿を消した。 【フォトギャラリー】U-17日本代表練習風景 選手たちはがっくりと肩を落とし、ピッチに突っ伏して起き上がれない者、天を仰いで呆然とする者。項垂れる姿は三者三様だったが、誰もが悔しさを滲ませていた。攻撃陣を引っ張った名和田我空(神村学園)と高岡怜颯(日章学園)も他の選手と同じようにショックを隠し切れず、ギュッと唇を噛んで歓喜に沸くスペインの選手たちに視線をやった。 名和田と高岡。同じ宮崎生まれで背格好も近しい。セカンドストライカータイプで、サイドハーフにも適用できる特徴もふたりの共通点で、切磋琢磨しながら成長を遂げてきた。一方で、プレースタイルはまるで違う。前者が想像力豊かなプレーと正確なキックが持ち味で、後者は俊敏性と泥臭くゴールを狙うのが身上。彼らが異なるのはプレー面だけではない。歩んできたキャリアも180度異なる。 名和田は幼少期の頃から天才サッカー少年として名を馳せ、高岡は地元では知られていたが、名和田と比べると実績は乏しい。そのため、ライバルというよりは憧れの存在に近く、小学校の頃から世代のトップを走る俊英を追いかけてきた。名和田は神村学園中で日本一を手にし、高校1年生だった昨季は福田師王(ボルシアMG)、大迫塁(C大阪)など共に冬の選手権でベスト4の舞台を経験。U-17代表でも発足当初から主力だった。今年はワールドカップのアジア最終予選を兼ねた6月のU17アジアカップで得点王とMVPを獲得し、チームの優勝に貢献。韓国との決勝で決めた鮮やかな直接FKは各方面から賞賛され、本大会での活躍を予感させた。 一方、高岡は中学時代まで実績がほとんどなく、宮崎県の三股町立三股中サッカー部の一員として県大会に出場しただけ。本格的に結果を残し始めたのは高校に進んでからだった。中学時代に日章学園中と対戦した縁で同校の高等部に進学し、1年次からトップチームで活躍。昨冬の選手権も経験したが、名和田のように目立った活躍ができたわけではない。だが、持ち前のスピードとハードワークを選手権などで評価され、2月の九州新人戦後に行われた3月のアルジェリア遠征で初めて日の丸が付いたユニホームに袖を通した。森山佳郎監督から認められ、6月のアジアカップにも参戦。スーパーサブとして重宝され、ワールドカップ行きが懸かった準々決勝で1ゴールを決めた。しかし、名和田のようにセンセーショナルな働きは見せられなかった。 歩んできたキャリアも実績も異なる2人。今まで決して交わることがなかったが、今年の年の代表活動で彼らの人生が初めて交差した。そして、迎えたU-17ワールドカップ。グループステージでその立場がひっくり返る。