鈴鹿央士“左右馬”のセリフに心が洗われる…昭和を描く『嘘解きレトリック』がネット社会に生きる現代人に刺さるワケ
一人称が変わる謎めいたキャラクター
人形のような見た目の品子は、一人称やキャラクターがコロコロと変わる。 ひとり目(?)の品子は、自分のことを「わたし」と言い、明るくよくしゃべる。しかし、ふたり目(?)の品子は、一人称が「品子」で、ぶっきらぼうな言葉遣いをするのだ。 左右馬たちが品子の部屋に侵入したとき、「どうして品子の部屋に入っているの? 食事のとき以外はダメだと言っただろ!」とガンを飛ばしまくっていたのは、おそらくふたり目の品子だろう。 しかし、(ひとり目の)品子は「(自分は)双子じゃない」と言う。ふつうのミステリーならば、ここで「またまたぁ、嘘をついちゃって!」となるが、本作には嘘を読む力がある鹿乃子がいるため、その言葉が嘘ではないことが分かってしまう。 ということは、ひとり目の品子は、自身が双子であることを知らないだけ? もしくは、品子は三つ子だったりするのだろうか。 ちなみに、品子の「うちは、誰も死んでいない」「イネさんは、自殺」という発言に関しては、鹿乃子の嘘発見器が作動しまくっていた。つまり、イネが殺したのは、人形ではなく人間であり、イネは自殺ではなかった…ということになる。 となると、やっぱり品子は三つ子で、殺鼠剤を飲んで死んだのは、品子の姉妹だったのだろうか。そして、その姉妹を殺害してしまった報復として、イネは殺害された。 たくさんの人形を置いてあるのも、コロコロ女中を変えるのも、三つ子であることをバレないようにするため。おそらく、人形に供えたご飯を、品子の姉妹たちが食べていたのだろう。 かつての日本には、双子は災いを呼ぶというくだらない迷信があったようだ。調べてみると、この迷信は昭和30年ごろから薄れてきたらしい。『嘘解きレトリック』の舞台は昭和初期であるため、まだこの迷信を信じる人が多かったのではないだろうか。そのため、三つ子である品子らは、それがバレないように暮らしていくしかなかった。