覚醒剤に手を出して18歳で少年院へ...思い出したのは父と同じ『医師』になる夢 "患者を断らない病院"を目指す院長となったいま「次は応援する立場になりたい」
「ぼくを医者にしてくれた地域」能登半島地震の被災地でボランティア活動も
さらに、今年1月から水野さんが続けているのは、能登半島地震の被災地へのボランティア活動です。石川県能登市門前町にある特別養護老人ホーム「ゆきわりそう」。約90人の利用者に大きなケガはありませんでしたが、水道管が破損して、4月中旬になってようやく水が出るようになりました。 (利用者に話す水野さん)「熱くないです?93歳の足には見えないな。キレイやな、めっちゃキレイ」 行っているのは足浴ボランティアです。水野さんは看護師らと被災地の病院や介護施設を訪れ、十分な入浴ができていない高齢者に対して、足を洗い、爪などのケアを行っているのです。 (水野宅郎さん)「だいたい足をみると、清潔を保てているかどうか、あとは動いているかとか。動いていないとむくんできたり固くなってきたりするので。足が血流不足で色が悪くなったり冷たくなったり痛くなったり、あとひどい場合は腐ってきたりする場合があるので、そういうのを未然に防がないといけないので」 水野さんらはこの活動を月に2度のペースで行っていて、今年1年は続けるつもりです。 (水野宅郎さん)「僕が学生時代を過ごしたのが本当にこの辺りなので、恩返しができるのであれば。父が『お前のこと医者にしてくれるのは石川県の金沢医科大学しかないわ』と言っていて。いま思えば本当に唯一ぼくのことを医者にしてくれた地域」
「次は応援する立場に」の想いで…通信制高校サポート校の生徒に伝える言葉
先週、水野さんの姿は兵庫県明石市にある通信制高校サポート校にありました。ここの大半の生徒が、いじめなどで中学時代に不登校だった過去を持っています。水野さんは生徒らに境遇は違えど「自分が心からやりたいことを見つけてほしい」と伝えました。 (生徒たちに話す水野さん)「自分が少年院入って『医者になる』って言って、夢をかなえられたのは、みんなが応援してくれたからというのもあったので。次は応援する立場になろうと。『あれもしたい、これもしたい』と迷っている方がいたら、自分の中でいろいろ捨ててみたら、大切なものが残るかなと思います。『医者になりたい』という思いが1個だけあったら、あとは覚醒剤も別にやりたいとは思わなかったし。そういうのを1個見つけられたら良いと思います」 一度は非行に走ったものの、父親、保護司、さまざまな人に支えられ立ち直った人生。今度は自分が支える番です。 (2024年5月22日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)