覚醒剤に手を出して18歳で少年院へ...思い出したのは父と同じ『医師』になる夢 "患者を断らない病院"を目指す院長となったいま「次は応援する立場になりたい」
少年院生活をきっかけに医師を目指す決心「幼稚園の時の夢を思い出した」
非行に走っていた水野さんがなぜ医師を目指したのか。転機は、1年間の少年院生活で自分を見つめ直したことでした。 (水野宅郎さん)「自分の生い立ちを思い出したときに、自分が『医者になりたい』という夢を幼稚園の時に持っていたことを思い出したので。父への憧れというのがあったのかなという感じ。お父さんお医者さん、自慢のお父さんみたいな感じで、どっかにはあったのかなと。ずっと口を聞いていなかったけどね」 今は亡き、開業医だった父・滋さんへの憧れが強くあることに気付き、医師を目指すと決心したのです。 (水野宅郎さん)「少年院を出た後『医者になりたい、学校に行きたい』と父に言ったら、元々高校にほとんど行っていなかったので、『高校3年間行かせるつもりやったから。その分の学費を置いているし、3年間だけ好きにしたらいい』と(父に言われた)」
30歳で医師免許を取得 病院スタッフが語る当時のエピソード
父と約束した3年間、猛勉強して、石川県にある金沢医科大学に補欠合格。30歳で医師免許を取得しました。当時から働く病院スタッフらは、父・滋さんの様子をこう振り返ります。 (病院スタッフ)「喜んでいました。すっごく喜んでいました。病院を継いでくれるって。『医者になったんや』ってすっごく喜んではりました。(水野さんが少年院にいて)苦しいときには何にも言わなかったんですよ、私らには。医師になってから『こんなことあって』と言ってはりました」 (水野さん)「兄も医者の道に進まなかったから父が諦めていたら、一番ダークホースが来たからな。いきなりダークホースが」
目指すのは患者を断らない病院「必要としてくれるなら…」
医師になってからは富山県の病院などで循環器内科医として勤務。2018年に大阪へ戻り、実家のクリニックを父の滋さんと共同運営することになりました。2020年に滋さんが亡くなり院長を継いでからは、「患者を断らない病院」を目指しています。 (水野宅郎さん)「非行少年だった時は、むしろ地域や町でほとんど必要とされていなかった存在なんですね。なんなら煙たがられていた感じなんですけど。昔必要とされていなかった人間が、ちょっと最近必要とされるようになったので、いくらでも、必要としてくれるなら全て応えていきたいなと」 必要とされるなら何でもやる。新型コロナウイルス感染が広がった当初、ほとんどのクリニックがコロナ患者の診療を行いませんでしたが、すぐに発熱外来を開き、クラスター施設への往診もしました。これまでにクリニック全体で診たコロナ陽性者はのべ8000人以上にも上ります。