最初に値段がついたのは? 20年前の日本人、市場価値ランキング1~10位。日韓W杯の日本代表選手が勢揃い
8位:川口能活(かわぐち・よしかつ)
生年月日:1975年8月15日 所属クラブ:ノアシェラン(デンマーク) 市場価値:125万ユーロ(約2億円) 日本人GKとして初めて欧州の舞台でプレーをした川口能活(125万ユーロ/約2億円)が8位にランクインした。 横浜F・マリノス、そして日本代表の守護神として長く活躍していた川口が初の海外挑戦をしたのは2001年10月のことである。当時イングランド2部に所属していたポーツマスに移籍をし、加入直後こそ先発出場を続けていたものの、クラブが冬の移籍市場で新たなGKを補強したことで一気に出番が減少。2003年夏には新天地としてデンマークのノアシェランに移籍をしたが、そこでもポジション争いに敗れ、約3年間の海外挑戦は散々な結果に終わった。 それでも川口が日本代表の歴代守護神の一人として記録されているのは、2004年のアジアカップでの大活躍の影響が大きいだろう。準々決勝のヨルダン代表とのPK戦で見せた執念のセーブは、その後も語り継がれる伝説の名場面であり、その勢いのまま日本に復帰して加入したジュビロ磐田では第1GKとしてチームを牽引した。 結果的に、市場価値は2004年10月時点での125万ユーロ(約2億円)から、約半年後には250万ユーロ(約4億円)まで上昇している。 キャリアの終盤は当時J2だったFC岐阜、J3のSC相模原とカテゴリーを下げながらもプレーを続けていたが、2018年のシーズン終了後に引退。キャリア最後の試合の後に行われた引退セレモニーでは盟友の楢﨑正剛が駆けつけ、長年ライバルとして日本代表の守護神争いをしてきた時代を知っているファン・サポーターにとっては、たまらない光景だったかもしれない。
7位:高原直泰(たかはら・なおひろ)
生年月日:1979年6月4日 所属クラブ:ハンブルガーSV(ドイツ) 市場価値:125万ユーロ(約2億円) 自身が代表と監督も兼任しながらプレーしていた社会人サッカークラブの沖縄SVで、昨年現役を退いた高原直泰(125万ユーロ/約2億円)が7位にランクインした。 高原は海外で活躍した日本人FWの第一人者と言ってもいい存在だ。中田英寿や中村俊輔など中盤の日本人選手は海外でも実績を残しつつあったものの、ことFWに目を移したときに、日本人FWは海外で活躍できずにいたからだ。 黄金時代を築いていたジュビロ磐田からのステップアップとしてドイツのハンブルガーSVに移籍をした高原は、3年目を迎えた2004/05シーズンにリーグ戦31試合で7得点を記録すると、2006年夏に引き抜かれたフランクフルトでは、加入1年目でリーグ戦2桁得点(11得点)を達成。 2004年10月には125万ユーロ(約2億円)だった市場価値も、3年後には自己最高額の350万ユーロ(約5億6000万円)まで上昇していた。 日本代表としても、歴代得点ランキングでトップ10に入る通算23得点という成績を残しており、21世紀に入ってからの日本代表の元祖エースと言っても過言ではないだろう。 2016年には自身でサッカークラブを作り、40歳を超えてまでピッチを走り続けたあたりは生粋のサッカー小僧であることを現しているだろうか。昨年の現役引退後は、クラブの社長として日本の最南端からサッカー界を盛り上げている。