選択的共同親権の制度導入で忘れてはいけない「子どもの利益」
◇必要なのは「親の満足」ではなく「子どものため」の制度 とくに子の監護や養育費に関する事柄は、離婚をする夫婦間の利害の対立が大きく、協議や面会の駆け引き材料にされてきたという実情があります。そのことを鑑みると、共同親権制度を選んだとしても、結局は子どものためではなく「親の自己満足」のために利用されてしまうのではないかと私は危惧しています。 そもそも「親権」というのは、親が子どもの利益のために監護・教育に関して権限を持ち義務を負うものです。親権者の権限のひとつとして、子どもの養育状態についての広範な裁量権があります。 たとえば、小学生の子どもが進学する際に、地元の公立中学校へ行くのか、それとも中高一貫の私立学校に行くのか、そうした進路志望も含めて、親権者は決定権限を持つことになります。親からすると、子どもが未成年の間は、重要なライフステージにおいて決定を左右する権限を持ちたい。そういう気持ちは、ある意味で自然なものとして理解できるでしょう。 しかし、夫婦の関係がこじれて、離婚協議がまとまらず裁判離婚まで行った場合、通常はお互いに(あるいは他方が他方を)物理的にも感情的にも距離を置きたいという状態になっていることが想像されます。そのとき、子どものためだったら顔を突き合わせて冷静に話し合いができる親がどれほどいるでしょうか。 つまり、父と母が共に子どもを育てることができる状況にない以上、実際に一緒に暮らして子どもを監護している親に親権をあたえて、子どものために責任と権限を持ってもらおうというのが、従来の単独親権制度のおおまかな趣旨であったと考えられます。 したがって、たとえ共同親権制度のもとにあっても、現実に親同士が子どものためにどこまで冷静に話をできるかが重要になります。別の言い方をすれば、離婚後は単独親権でも子どものためにお互いうまくやっている元夫婦にとっては、共同親権制度はさほど必要とされていないのです。 いずれにしても、選択的共同親権制度に関する法改正も「子どものため」を第一に考えなければ、制度として本末転倒になるのではないでしょうか。 先ほど、親権者の権限の例として進学に関する決定をあげましたが、実務的な立場から言わせていただくと、受験や習い事といった子どもの成長の過程のことごとくを親同士の対立構造に持ち込んでしまう紛争は案外多いです。 離婚した家族間で問題が発生したとき、これまでの民法では個々の自律性に委ねて裁判所は介入しないというスタンスでした。しかし、この度の法改正で離婚後の選択的共同親権制度に伴い、家庭裁判所が介入するという方向に変わりました。 私はもともと両親が合意できている場合は共同親権を選択すべきだという立場ですが、今後は、両親が合意できてない場合つまり紛争性が残った状態で、裁判所が共同親権か単独親権かを審判しなければいけません。これは非常に難しい問題を内包しているということを理解してほしいと思います。 共同親権を選ぶことは「子どもため」ではなく「自分のため」になっていないか、当事者はよくよく考えていただきたいところです。