搾取され続けた娼妓たち、公娼制度改革後も「賞与金」還元されず…性産業の実態明かす論文
奈良県大和郡山市にかつてあった貸座敷「川本楼」に残る「精算書」や「娼妓(しょうぎ)稼高明細帳」などの史料について、近畿大の人見佐知子教授(日本近代史)が分析し、論文にまとめた。大正期の公娼(こうしょう)制度改革後も、娼妓たちの待遇が実質的に改善していなかった実態を明らかにした。学術誌「奈良歴史研究第95号」に掲載されている。(河部啓介) 【写真】現在は「町家物語館」となっている「川本楼」だった建物(奈良県大和郡山市で)
川本楼は同市・洞泉寺遊郭の一角で、明治期の1889年に開業。戦後の売春防止法施行を受け、下宿へと変化した。本館(木造3階建て)は100年前の1924年に建てられた。現在は「町家物語館」として市が所有する。2014年に国の登録有形文化財に指定され、一般公開もされている。
人見教授は、娼妓が廃業時に前借金や利子などの精算について記す「精算書」、娼妓の日々の稼ぎ高が示された「娼妓稼高明細帳」などの史料を詳細に分析した。こうした1次史料から、娼妓の稼業の実態や廃業事情、貸座敷業者がどのように収益を上げていたかを明らかにする研究は珍しいという。
1920年代、国内外で廃娼運動が高まり、県内でも公娼制度改革が進んだ。娼妓の待遇改善も図られ「賞与金」や「積立金」などが設けられた。しかし、史料からは、それらはほとんど娼妓に還元されず、前借金などによる人身拘束や、搾取の実態は改善されなかった状況が読み取れる。
史料の「娼妓名簿」に登場する女性は「一家生計困難」のため、朝鮮で身売りをした後、川本楼にやってきた。「稼ぎ頭」と呼ばれる一人となったが、5年の年期が来る前の3年9か月で別の貸座敷に移った。
積立金が支払われないのに年期途中で「住み替え」をしたのは、自費で衣装を購入させられたり、実家の困窮からさらなる仕送りが必要になったりしたためとみられる。「住み替え」には「紹介人」と呼ばれる周旋業者が関わり、川本楼には複数の業者が出入りしていたことも明らかにした。
人見教授は「聞こえの良い『賞与』など、搾取の実態を隠蔽(いんぺい)する言葉に惑わされてはならない。性産業で搾取が巧妙化していた実態は、現在にもつながる部分がある。『自由意思』や『自己責任』が強調される中、こうした問題を社会全体で考えるきっかけにしてほしい」と話している。
「奈良歴史研究」(送料込み980円)の問い合わせは、奈良歴史研究会事務局(kinosita@daibutsu.nara-u.ac.jp)。