「同調圧力」が強い日本、ますます深刻化する「社会の老化」の実態
若い世代を諦めの境地へと誘う
「社会の老化」に基づく不寛容さの矛先は、往々にして"未知の存在"たる若者に向く。無難さに裏打ちされた「大人の論理」を振りかざし、若者を道連れにしていくのである。 最たる例が大学のオンライン授業であろう。対面授業を取りやめた大学では、新入生が一度もキャンパスに足を運ぶことなく、友人ができなかったり、借りたアパートに入居することなく親元に戻ったりという異常な事態が各所で起こった。 大学とは、勉学だけでなく、恩師との出会いや生涯の友を見つける場である。こうした大切な機会を奪ってまで、オンライン授業にこだわるのはどうみても過剰な対応だと言わざるを得ない。学生たちは学外ではアルバイトもするし、当然ながら自由に行動する。キャンパスを閉鎖しても感染リスクはゼロにはならない。キャンパス内での感染防止ばかりを考えるのでは、大学はダブルスタンダードとの批判を免れないだろう。体面ばかりを気にするのもまた、「社会の老化」の典型である。 2020年の高校野球が春だけでなく夏の大会まで中止となったのも同じ理由だろう。プロ野球は観客を入れた試合を開催していた。検査と感染予防を徹底して開催するという選択肢はなかったのだろうか? 高校野球に限らず、他のスポーツの全国大会や音楽コンクールなども中止となったケースが少なくなかったが、横並びの意識も見られた。主催者側にしてみれば、"今年限りの中止"ということだろうが、毎年進級する生徒個々にとっては、1年の違いは決定的な差である。最終学年の人たちにすれば、二度とチャンスが来ることはない。 無難さを求める「大人の論理」で、生徒や学生のチャンスを奪った罪は想像以上に深い。「運が悪かった」と切り捨てるのは、あまりに気の毒である。 「社会の老化」が恐ろしいのは、若い世代を諦めの境地へと誘うことである。 そうでなくとも、少子化で若い世代の人数が減るにつれて切磋琢磨の機会が減り、他国の若い世代に比べて意識が「安定志向」へと向かいやすくなる。 内閣府の資料「若者等の意識について」によれば、日本は仕事におけるリスク回避の意識が高い。仕事を失ったとしても希望の仕事に就こうとするかの意識については、日本は9%で、フランス(18%)の半分でしかない。管理職への希望も男性27%、女性15%といずれも各国に比べて極端に低くなっている。 つづく「日本人はこのまま絶滅するのか…2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」」では、多くの人がまだまだ知らない「人口減少」がもたらす大きな影響を掘り下げる。
河合 雅司(作家・ジャーナリスト)