新垣結衣が「人と人は分かり合えない」と考えるからこそ、大事にしていること
TVアニメ化も発表されたヤマシタトモコの人気漫画『違国日記』を、新垣結衣と早瀬憩の共演で実写映画化した『違国日記』が、6月7日より劇場公開される。 【漫画を読む】『違国日記』1巻を期間限定で無料公開中! 人見知りな小説家・槙生(新垣)は、疎遠だった姉が事故死したことで姪の朝(早瀬)を引き取ることを決意、共同生活の中で両者の距離が少しずつ近づいていく。「わかり合えなくても、寄り添えることを知った」というキャッチコピーに象徴されるように、お互いが別の人間である前提から目を背けず、そのうえで歩み寄る美しさをとらえた一作だ。 原作の大ファンだという新垣さんは、「人と人はわかり合えない」という槙生の考えに、自分と近いものを感じていたという。その真意とは。
相手が自分とは違う人間だからこそ
――『違国日記』は「人と人は分かり合えない」という前提から始まる点が特徴です。 新垣: 私も『違国日記』の原作に出会う以前から、近い考えだったように思います。どんなに話し合ったとしても、自分以外の人間の気持ちや考えていることは100%理解できたり、完璧に共感できたりするはずがないと元々思っていました。 ただ、人が違えば状況が違うのは当たり前ですが、そんな中でも似たような気持ちになったり、同じような経験をしたりすることはあるし、表面的に見たら全く違う状況なのに、なぜだかわからないけどあのときの自分の経験を思い出したということもきっとあると思います。たとえ分かり合えなかったとしても、そうした他者の声が支えになる部分はあるし、共感したり寄り添ったりすることはできるという考えです。 ――『違国日記』では「あなたの感情も、私の感情も自分だけのものだ」というような一個人を尊重したうえでの対人コミュニケーションが丁寧に描かれていますね。 新垣: 「相手が自分と違う人間だとわかったうえで尊重しながら関わりを持つ」ということも、以前から自分のスタンスとして持っていたものでした。若いときに人と関わる中で、良かれと思って踏み込みすぎてしまい、それが自分のためにもその人のためにもならないことだった――という経験をしたことがあって、徐々にそうした考えになっていきました。 自分が「こうしてあげたい」と思ったものと、本当にその人のためになることは必ずしも一致しないものです。その人の人生ですから、本人がどうしたいのかを一番に考えないといけませんし、いまお話しいただいたセリフは一見突き放したような言葉ですが、同時にとてもリスペクトのあるものだとも感じます。「自分の価値観は誰かに押し付けたり押し付けられたりするものではない」と歳を重ねる中で何となく感じていたことを、改めて「そうだよね」と思わせてくれる作品でした。