センバツ中止”遅すぎた決断”の余波…高野連は各校へ「心のケア」通達も
高野連の八田英二会長は、「出場校には、何らかのカタチで甲子園へ来ていただけたら甲子園の土を踏ませてあげたいと考えている。今後、検討させていただく」と、中止となったが、今回の出場を記録にカウントすると同時になんらかの救済措置を取ることを明言した。 だが、これはあくまでも「甲子園の土を踏む」という記念イベント的な救済措置で、夏の甲子園大会へ向けて、各都道府県大会での救済措置を念頭に置いたものではない。 救済措置に関して、SNS上では、「センバツ校を夏にそのまま出場させれば?」「出場枠を増やしてはどうか」とのファンの声もあるが、この案の実現は難しいだろう。 ショックの色を隠せない明石商の狭間監督は、「夏も出るとなると相当難しい。兵庫県大会で7試合を勝ち抜かねばならないが、球数制限の問題もあるし、うちは私学ほど投手陣の枚数をそろえられないから……」と声のトーンを落とした。 高野連は、夏に向けての「心のケア」を各学校に任せるのではなく、なんらかの具体的なケアの方法を示すなどのアプローチを行う必要があるのではないだろうか。 もちろん、高野連と大会を主催する毎日新聞社は「出場校が試合をする機会を最後まで模索する。そのためにあらゆる対策を行う」という方針の下、開催へ向け、努力を惜しまなかった。開催に向けて、全選手にマスク1人3枚×出場日数が行き渡るように手配。消毒液を球場内12カ所に設置、オゾンによる脱臭機「エアバスター」を17台も発注済みだった。 また選手送迎バスについては今大会に限って大会本部で用意。宿舎も個室にし、食事もビュッフェスタイルは避けるように要望もしていた。しかし、取り巻く環境はますます悪化した。
9日にはプロ野球とJリーグが共同で設置した「新型コロナウイルス対策連絡会議」で専門家の提言を受けて開幕と再開の延期を決定した。高野連の小倉事務局長はこの会議にオブザーバーとして出席しており「専門家から選手の健康管理はもちろん、その家族もケアが必要と言われた」と言う。この延期が中止への”引き金”になったと話す関係者も多い。 さらに方向性を決定づけたのは10日の安倍晋三首相発言。「大規模なイベントの実施の自粛を今後おおむね10日間の延長を求める」と表明したことで中止が決定的になったようだ。 最終決断に至った理由を高野連・八田会長は「選手の健康、安全が第一。これを最大限重視した」と説明。「大阪、兵庫など関西で感染確認者が増えているのも考慮した。専門家に聞き、99%の安全が確保できるかと言えば、そこまでの自信を持てなかった」とも話した。また大会会長を務める毎日新聞社の丸山昌宏社長も「断腸の思い。苦渋の決断だった」と話した。 「球児たちの夢を実現するためにギリギリまで努力をしたい」と、結論を先延ばしにしたが、運営委員会が開かれた4日の時点で、安倍晋三首相が臨時休校を要請していたし、高体連の全国大会は次々と中止になっていた。高野連は、高体連に属しておらず、「歴史と文化のある甲子園は特別」との意見もあったが、結果的に、出場校に期待を持たせただけの“遅すぎた決断“となった。 「開催に向けて最大限努力してもらった」と、球児や監督から感謝の声が上がる一方、4日の時点で最終判断を見送り、結論を1週間先延ばしにしたことについて、一部では「アリバイづくりではないか、どうせ中止するなら早めに中止にしてほしかった」という声もあった。 この日の会見では、「我々は高体連と違って独自の判断をする」「3月4日の時点であらゆる対策をし尽くしていない」と、その批判に反論したが、中止に至る経緯、手法に問題は残っただろう。 これまで戦争での中断はあるものの、中止になったのはセンバツ史上初めて。1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災直後でも「勇気を与えよう」と開催してきた。中止の決断が主催者にとっても重いものだったことは理解できる。 しかし、不特定多数が密閉された屋内空間に集まるわけではなく、コンタクトプレーの少ない野球という競技の特性から考えると、過剰に反応しなくても良かったのではないかという意見もある。観客を入れなければ商売にならないプロ野球の公式戦は延期となったが、オープン戦は、各球場で万全の予防対策を取り、問題のないまま無観客で続行されている。 繰り返すが、中止が決まった以上、重要なのは、夢の舞台が幻に終わった各チームの選手への心のケアだろう。 (文責・山本智行/スポーツライター)