映画『アイアンクロー』公開!〝鉄の爪王国〟の生き証人、ザ・グレート・カブキが語る「呪われた一家」の真実
日本でも活躍したプロレスラー、〝鉄の爪〟フリッツ・フォン・エリックとその息子たちの実話を基にした映画『アイアンクロー』が、4月5日からTOHOシネマズ日比谷ほかで全国公開される。 【写真】当時をリアルに再現した『アイアンクロー』の場面カット フリッツ・フォン・エリックといえば、必殺技アイアンクローを武器に、1960年代から70年代にかけて全盛期のジャイアント馬場らと名勝負を展開した名レスラー。アメリカ・テキサス州ダラスでは自身の団体WCCW(ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)も運営。80年代前半には、次男ケビン、三男デビッド、四男ケリーらの活躍もあって全米屈指の人気マーケットとなり、ダラスはプロレス界で「鉄の爪王国」とも呼ばれた。 しかし、84年2月にデビッドが急死したのを皮切りに、エリック家は次々と悲劇に見舞われ、「呪われた一家」と呼ばれるようになる。 そんなエリック一家の栄光と悲劇を描いた映画『アイアンクロー』公開前に、映画の舞台だった80年代前半のダラスで大活躍したザ・グレート・カブキに、エリック一家の真の姿を語ってもらった。 ■兄弟はみな、親父の前では「イエッサー!」 ――映画『アイアンクロー』は、エリック兄弟が大活躍した80年代前半のテキサス州ダラスが舞台ですが、カブキさんもちょうどその時代のダラスで活躍されたんですよね。 カブキ そうだね。あの頃がたぶんダラスが一番良かった時代。お客が入るもんだからプロモーターであるフリッツの親父が喜んじゃってね。毎週、必ずギャラのほかに「ボーナスだ」って上乗せして払ってくれたから。 ――フリッツはいいプロモーターでしたか? カブキ 最高だと思う。金払いがよく、レスラー思いだったしね。渋チンだったデトロイトのザ・シークや全日本プロレスの(ジャイアント)馬場さんとはえらい違いだよ(笑)。まあ、俺は若い頃、フリッツが日本プロレスに来たときに付き人をやって、いろいろケアしたことがあったから、そういうのもあってよくしてくれてたんだろうね。 ――カブキさんは1980年からダラスに入ったわけですけど、ダラスに転戦するきっかけはなんだったんですか? カブキ デューク・ケオムカさん(日系人の元プロレスラーで、フロリダ地区のプロモーター)からの紹介だね。フロリダで何年かやった後にロスで仕事していたとき、そろそろロスを出たいなと思ってデュークさんに電話したら、「フリッツのところに行ったらいい。連絡しておくよ」って言ってもらえてね。それで入ったんだ。 ――カブキさんが入る前から、すでにダラスはいいマーケットだったんですか? カブキ 入る前のダラスはそんなにはいいとは聞いてなかった。だから行ってもカネにならないだろうけど、フリッツの親父がいるなら行ってみるかと思って入ったんだ。で、行ってみたらすごくファミリー的な会社だったんで、ここはいやすいなと思ってね。だから楽しかったですよ。アメリカはけっこう、オリエンタル(東洋人)に対する差別みたいなものもあるんだけど、そういうのも全然なかったし。 ――他のテリトリーとは違って、カブキさんにとってはすごくいいところだったんですね。 カブキ 他のテリトリーではみんな足の引っ張り合いだからね。で、自分がダラスに入ってから、フリッツの引退シリーズが始まって、時を同じくしてケビン、デビッド、ケリーたちが出てきて、エリックの親子両方の活躍でお客がどんどん入るようになったんだ。 ――カブキさんは試合に出るだけじゃなく、エリック兄弟のコーチも務めたんですよね?