危機の公明「攻め」より「守り」 前途多難の斉藤体制【解説委員室から】
最終的に自民党は、埼玉14区と愛知16区を譲ることで公明党と折り合い、東京での選挙協力でも合意したが、しこりが残ったのは間違いない。自民党内では、「一連の交渉は学会主導」との受け止めがもっぱらで、石井氏を知る実力者は「温厚な石井さんがあんな強烈な言葉を使うはずがない。学会幹部に言わされたのだろう」との見方を示した。 ところが、自民党との選挙区調整が決着すると、公明党は埼玉14区に、「ポスト山口」の本命である石井氏を「国替え」出馬させることを決定。これにも、自民党内から「勝利するのは容易でない。学会幹部は石井氏の将来をどう考えているのか」(閣僚経験者)と驚きの声が漏れた。 山口氏は来年夏の参院選に出馬せず、議員引退が有力視されている。こうした事情も踏まえ、山口氏は9月に代表退任を決めたが、党や学会内には、衆院選、参院選、都議選の「三大選挙」を控え、9選出馬を求める声もあった。 続投する山口氏が参院選後に任期途中で辞任。石井氏が小選挙区で勝っていれば、石井氏が代表に就き、落選した場合は、1年近く要職を務めることになる岡本氏ら中堅を抜てきするシナリオだ。これなら、「新代表が落選・辞任」という最悪の展開は避けられる。しかし、山口氏は「世代交代」を優先し、このシナリオを選ばなかった。 そもそも、石井氏を埼玉14区に国替えさせていなければ、落選することもなし。公明党は、組織が緩むことを警戒し、小選挙区候補を比例と重複させないのが不文律。学会側との調整を経て、埼玉県を含む比例北関東選出で、国交相も経験している石井氏なら勝てると判断したとみられるが、見通しの甘さを露呈した。 ちなみに、愛知16区の候補に、政調会長代理として自民党との政策調整の実務を任されていた伊藤渉氏(比例東海)を決めたものの、国会対応と選挙区での支持者回りの激務の末、体調を崩して公認を辞退。愛知県議に候補を差し替えたが、約2800票差で敗北した。 日本維新の会と初対決となった大阪の4選挙区で落選した4氏のうち、国重徹(49)、伊佐進一(49)の両氏は、当選4回。体調不良で引退した伊藤氏(55)は当選5回。いずれも、将来の幹部候補で、貴重な人材を失ったと言える。 今回当選した24人のうち、新人を除くと、40代以下は、国交相に就いた中野洋昌(46=兵庫8区、当選5回)、河西宏一(45=比例東京、当選2回)のわずか2人。河西氏は、創価学会で若手の登竜門である学生部長を務めたエリートで、将来の代表候補だろう。 ◇若手抜てき松下翁と対照的 創価学会において、公明党を創設した池田氏は師匠で、全ての会員は弟子。公明党議員のほとんどは学会員で、師匠と弟子の関係にある。そして、池田氏が、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)を創業した松下幸之助氏と約30回対話するなど親交を重ねたことは、学会内で有名だ。 その松下氏は1977年、松下家以外からの初の社長に、当時57歳で下から2番目の取締役の山下俊彦氏を抜てき(いわゆる山下跳び)。山下氏は社内の反発にひるむことなく、経営の近代化を進めたとされる。 公明党にとって今回の衆院選は、池田氏不在で臨んだ最初の国政選挙で、いわば弔い合戦。選挙結果に多くの会員、支持者はじくじたる思いだろう。士気を高めるには、参院選と都議選で議席を増やす以外にない。しかし、公明党は、松下氏のように、若い人材に危機の打開を託す決断をしなかった。そもそも、世代交代に逆行しては、山口氏が退任した意味が薄れる。 斉藤氏を代表に据える公明党の人事を知り、松下氏を思い浮かべた学会員は、少なからずいただろう。危機に際し、守りを優先する。「経営の神様」松下氏とは、あまりにも対照的と言えよう。 高橋 正光(たかはし・まさみつ)1986年4月時事通信社入社。政治部首相番、自民党小渕派担当、梶山静六官房長官番、公明党担当、外務省、与党、首相官邸各クラブキャップ、政治部次長、政治部長、編集局長などを経て、2021年6月から現職。公明党担当として、連立政権の発足を取材。