危機の公明「攻め」より「守り」 前途多難の斉藤体制【解説委員室から】
衆院選で落選した公明党の石井啓一氏(66)の代表辞任を受け、9日の臨時党大会で後任に選出された斉藤鉄夫前国交相(72)は、わずか40日ほど前に退任した山口那津男元代表と同年齢。党の危機に際し、「刷新」より「経験」、「攻め」より「守り」を重視した形で、人材の枯渇を露呈した。戦略を立て、将来のリーダー候補を育ててこなかった結果でもある。(時事通信解説委員長 高橋正光) 【主な経歴】岡本三成氏 ◇定年延長者が新代表 斉藤氏は衆院広島3区選出で、当選11回。建設会社勤務を経て政界入りし、環境相、党政調会長、幹事長、国交相などを歴任したベテランだ。誠実な人柄と実務能力に定評はあるが、党や支持母体の創価学会内で「代表候補」とは見られていなかった。 党や学会内には、就任したばかりの岡本三成政調会長(59)=衆院東京29区、当選5回=を推す声もあったが、党と内閣で要職を歴任した斎藤氏に落ち着いた。 とはいえ、代表を8期15年間務めた山口氏が「世代交代」を理由に退任したばかり。また、党の内規で衆院議員の定年に該当しながら、特例として今回の衆院選に出馬している。定年延長者が代表に就く、世代交代に逆行する異例ずくめの人事だ。 来年夏には参院選と、国政選挙並みに重視する東京都議選があるが、衆院選の結果が示すように、公明党は集票力の低下に歯止めがかからない危機的状況にある。しかし、党や学会の幹部らは、若返りを進めて刷新感をアピールするよりも、選挙協力や重要政策での自民党との折衝を想定し、ベテランの経験に頼る方が得策と判断した。 大会では、斉藤氏を代表に推挙する理由として(1)党務に精通(2)与野党での幅広い人脈(3)リーダーシップ―の三つが挙げられた。 ◇人材枯渇、きっかけは09年衆院選 公明党の歴史を振り返ると、人材枯渇のきっかけは、2009年の衆院選にあることが分かる。学会の出世ポストである青年部長を経て党に移り、要職を歴任してトップに就いた当時の太田昭宏代表、創価学会の池田大作名誉会長(昨年11月死去)が設立した創価大学の1期生の弁護士で「ポスト太田」が確実視された北側一雄幹事長が共に落選。一気にリーダー不在となった。 この時、急きょ代表に指名されたのが、政調会長だった山口氏。当初は「ショートリリーフ」と見られたが、巧みな弁舌と明るい人柄から、公明党の選挙で集票活動の中心となる学会婦人部(現女性部)内で人気が急上昇。再選を重ねた。 この間、一部の学会幹部の評価が高かった遠山清彦元衆院議員が将来の代表候補に浮上した。しかし、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下に東京・銀座のバーで飲食していたことが発覚。学会内で批判を浴び、21年2月に議員辞職に追い込まれた(その後、貸金業法違反罪で在宅起訴され有罪確定)。この結果、「ポスト山口」は建設官僚出身の石井氏(衆院比例北関東、当選10回)に絞られ、交代のタイミングが焦点となった。 ◇学会主導?「国替え」が裏目 山口氏は22年9月の党大会で、幹事長の石井氏への交代を模索したものの、23年4月の統一地方選への影響を懸念する学会内で続投論が強まり、代表にとどまった。その後、衆院小選挙区を「10増10減」する改正公選法が22年末に施行されると、公明党は自民党に対し、増員対象の3都県で公明党の候補を増やすよう要求した。 調整が難航すると、公明党は東京での選挙協力解消を一方的に通告。石井氏は「東京における自公の信頼関係は地に落ちた」と、自民党を激しく非難した。