能登半島地震の被災地で、学生ボランティアが探す“自分ができること”(後編):若い力を生かした支援
最初は誰もが初心者、そこから災害支援のプロが生まれる
最後の現場作業は狼煙町の高台の住宅で、傾いた納屋から荷物の運び出し。家主の女性は「川島さんからは、危ないから自分で荷物を出さないようにと言われていたので、学生さんが来てくれるのを待っていたのよ」と歓迎してくれた。 納屋の修復には時間が掛かるので、運び出した荷物はできるだけ処分せねばならない。でも、災害ごみは仮置き場に集められるため、「普段と分別の仕方が違うから覚えられないし、重いものを仕分けするのも大変。災害の専門家や若い人が来てくれて本当にありがたい」と感謝していた。 学生たちは家主さんに処分するかを確認しながら、手際よく荷物を運び出す。とりわけ大物だったのが、年代物の重厚なオーディオセットだ。 長年使っていなかったようだが、それを見付けた70代のご主人がうれしそうにレコードプレーヤーをいじり始め、「16~17歳の時、半年分の給料を貯めて買ったもの。やっぱり捨てられねえ」と、別の建物に移してほしいと依頼。その気持ちに応えるように、女子学生が3人がかりで丁寧に運んでいた。 作業を見届けた川島さんは「初めての被災地に戸惑っていた子も、帰る頃には自分なりに率先して行動するようになる。一度、経験した子には、いつかまた現場に戻ってきてもらいたい」と語る。 東日本大震災の際に活躍した学生ボランティアは、復興が進んだこともあり、就職後は被災地での活動から遠ざかる場合が多かった。しかし、能登半島地震が発生すると、現地入りし、当時の経験を生かしてくれている人もいるという。「日本は災害大国。能登で経験したことが、未来の被災地で生きるはず」と力説する。 川島さん自身も最初から災害支援のプロだったわけではない。何度か足を運ぶうちに、現場で頼りにされるようになった。「自分ができることをしているだけなのに、被災者が『ありがたい』と喜んでくれる。それこそ“有り難い”ことであり、活動の原動力になっている」という。「少しでも被災地の役にたちたいと思う人には、ぜひ現場に来てほしい」と呼び掛け続けるのは、その中から後継者が育ってくれることを願っているからだ。