”最高裁歴史の恥部”とまで言われた「裁判官いじめ」への関与を自慢げに語る最高裁判事…うつになるほど耐え難い『最高裁勤め』の実態とは
「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。 裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。 『絶望の裁判所』 連載第12回 『「この理屈は本当に正しいのか?」…若い合議体が最高裁判決に感じた違和感とは?』より続く
最高裁判所調査官就任、闘病生活、筆名の執筆と実名による研究
1994年に那覇地裁沖縄支部判決を終えて東京へ帰ると、最高裁判所調査官の仕事に就いた。最高裁判事たちの審議のための報告書を作成したり、場合によっては判決案の大要を書いたりする仕事である。 しかし、2度目の最高裁勤めは、やはり、私には合わず、間もなく体調を崩した。最高裁判所調査官も、厳然たる決裁制度(首席、上席)の存在するヒエラルキー的官僚制システムの歯車であって、同種の仕事を行うアメリカのロークラーク(一流ロースクールを優秀な成績で卒業した若者たちが就く仕事である)のように創意と工夫をもって裁判官とともに新たな判例を創造していくという役割とは、かなり異なっていた。 (なお、以下、本書では、アメリカ等海外の司法制度に言及することが多いが、それは、主として裁判官制度や裁判官のあり方を比較するという趣旨からであって、決して、海外の制度のほうが日本のそれより先験的にすぐれているといった趣旨によるものではない) 事務総局局付についても、最高裁判所調査官についても、出世コースとしての「エリート裁判官」というイメージがあるが、それはおそらく皮相なレッテルであり、その実態は、私が記したようなものなのである。私が、もうこのような組織で上層部までいこうとは考えまいと思ったのは、2回の最高裁判所勤務経験を経てのことであった。 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。