佐野史郎さんが愛車遍歴を初公開! “冬彦さんブーム”で購入した初マイカーや、旧東ドイツで乗ったトラバントの思い出とは
東ドイツで乗ったトラバント
クルマの歴史を振り返った佐野さんは、今度はシトロエンDSにスマートフォンのカメラを向けた。そして、ご自身の撮影をそっちのけで、何度もシャッターを押し始めた。 「いやぁ、ちゃんとしたカメラを持って来なくてよかったですよ。単焦点のレンズを何本か持って来たら、大変なことになるところでした。クルマのことって自分の無意識の領域と向き合う作業なので、ちょっと怖い取材でもあるけれど、やっぱり鉄道に対して抱くのと同じように、クルマにも偏愛的な要素があることを感じています」 佐野さんは、シトロエンDSの特徴的な外観だけでなく、エンジンルームのパイプ類など、ディティールの写真も撮りまくる。 「自分でも、やけにパーツを撮っているなぁという自覚があります。自己分析をすると、やっぱり“部分”が好きなんでしょうね。部分、部分の丁寧な仕事の積み重ねにより全体が滑らかになる、という自分が思い描く理想の仕事像と重ねているのかもしれません。いやぁ、クルマと向き合うと、考えることも深みにハマっちゃいますね(苦笑)」 『ファントマ 電光石火』のシトロエンDS以外に、クルマが登場する印象的な作品はあるのかと尋ねると、佐野さんは力強くうなずいた。 「1960年代の『007』に登場するアストンマーティンとか、『サンダーバード』で見たピンクのロールス・ロイスとかは映画を見ながら格好いいなと思っていましたね。ほかにもヌーヴェルヴァーグの映画とか日本の東宝の作品にもいろいろなクルマが登場していて、無意識のうちに染み込んでいるんでしょうね。そうそう、大瀧詠一さんの『雨のウェンズデイ』という曲に、ワーゲンに関する詩があるんです、作詞は松本隆さんで。あれ、ビートルズに掛けてたのかな?無意識のうちにビートルが気になって、ロケでブラジルに行った時に海辺に停まっていたビートルの写真を撮ったりしましたね。もしクルマを封印していなかったら、ビートルか初代MINIに乗っていたような気もします」 そういえば、ドラマでも映画でも佐野さんがハンドルを握る印象的なシーンがある。けれどもいずれも“牽引車”で、自身が運転できないことに由来する不便やストレスを感じたことはないという。 ただ、劇中車はスポンサーの意向などで自由には選べないため、特に記憶に残っているものはないという。ただし、唯一の例外を除いては。 「僕は1986年に『夢みるように眠りたい』という林海像監督の作品で映画デビューをしたんですけど、そこでオート三輪のミゼットに乗って移動するシーンがあるんです。僕が幼少期を過ごした時代の設定で、思春期に封じ込めたクルマへの思いや、江戸川乱歩的な世界観や探偵など、僕が偏愛するものがぶつかりました。監督とは初対面だったし僕の好みを知る由もなかったんですが、お互いに呼び寄せられたのかもしれませんね」 そして佐野さんは、「作品に出てくるわけではないけれど、どうしても忘れられないクルマがあります」と、続けた。 「1988年、昭和最後の年に東ベルリンで『舞姫』という映画を日独合作で、撮ったんです。監督は篠田正浩さんで、郷ひろみさんが主演でした。西ベルリンに宿泊しチェックポイントチャーリーを通って東ベルリンの撮影所に通ったんですが、その時に乗せてもらったトラバントが忘れられないですね。乗った感じはキャロルに近くて、シンプルな機能美が格好いいなと思った記憶があります。だからクルマのことはずっと封印してきたけれど、この取材で蓋を開けてみたら、自分の人生の要所要所にクルマが登場します。クルマのことは考えないように、考えないようにしてきたんですけれど、実は大きな存在だったんだなということに、改めて気付かされました」 まさか、運転免許をお持ちでない佐野史郎さんから、これだけ濃厚で味わい深いクルマの話が聞けるとは、想像もしていなかった。興味があり、大好きになるかもしれなかったクルマを封印し、けれども振り返ってみるとクルマが大きな存在だったという佐野さんのお話に、すっかり引き込まれてしまった。
【プロフィール】佐野史郎(さのしろう)
1955年3月4日、島根県松江市出身。1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」の旗揚げに参加。退団後、唐十郎が主宰する「状況劇場」を経て、1986年「夢みるように眠りたい」(林海象監督)で映画デビュー。以降、数多くの映画・TV・舞台に出演するほか、写真、執筆、音楽、など多方面で活躍中。 文・サトータケシ 写真・安井宏充(Weekend.) ヘア&メイク・Ryo スタイリング・間山雄紀(M0) 編集・稲垣邦康(GQ) 車両協力・コレツィオーネ