お笑い芸人・パンサー向井がラジオにかける思い。38歳、今の自分に喋れることって何だろう?
---------- お笑い芸人「パンサー」のメンバーで、ラジオパーソナリティとしても大活躍中の向井慧さん。学生時代から愛してやまない「ラジオ」をめぐって、さまざまな思いを綴ったエッセイ「チューニング。」(「群像」2024年5月号掲載)を特別にお届けします。(※ウェブ転載にあたり、再編集しています。) ----------
ラジオは「噓をつけないメディア」
僕は現在、ラジオのレギュラーを4本やっている。その内の1本は月曜から木曜までの帯番組なので合計すると週に13時間半喋っている。冷静になるとなかなか異常なことをしているなと思う。なんでこんなことになったのだろう。 学生時代にラジオを聴き始め、吉本興業に入って1年目の時に作ったプロフィールの趣味の欄には「ラジオを聴くこと」と書いた。 何気ない先輩との会話の中で、ラジオを聴くことが好きだと話すと、「ラジオ好きって言うことで陰の部分持ってますアピールするんだ」と言われて驚いた。ラジオ好きっていうのはそういうアピールに取られるんだ。 芸人の世界は特に「媚びる」ということに敏感な人が多い気がする。僕は"パンサー"というトリオを組んでいるが、2013年頃、劇場で若い女の子から人気が出始めて、出待ちと言われる劇場の外で待ってくれているファンの方が多いということで話題になった。 その時、先輩から何度か「お前は女の子に媚びてる」と言われた。それを言った人を今でもしっかりと覚えているのが自分でも恐ろしいと思うが、その芸人さんは「自分達は男を笑わすことができる」と胸を張っていた。それって男に媚びてるんじゃないのかと不思議に思った。 そんなこともあり、あまりラジオを好きだと言わない時期があった。だけど結局好きな気持ちは滲み出てしまうもので、ラジオの仕事がちょくちょく入ってくるようになった。 東京でいくつかのラジオ番組をやるチャンスを頂いたが、正直どれもしっくりこなかった。勿論、全て全力でやったし、その時喋れることを全部喋ったつもりだったが、今、振り返ってみると自分が学生時代から好きだったラジオに近付けようとすればするほど喋っていることが自分の言葉から離れていってしまっていた気がする。 自分にとってラジオは、やるものじゃなく聴くものだと思い始めた時、地元名古屋のラジオ局から期間限定番組のオファーを頂いた。ローカル局ということもあって、今まで表に出すことがなかった、悔しかったことや腹が立ったことを何年も書き殴ってきたノートをもとに喋ったら、初めて自分と言葉が一致した感覚があった。 ラジオは噓をつけないメディアと言う人がいるが、その通りだと思う。悔しかったこと、腹が立ったこと、人間関係が難しかったことを喋っていたら、同じような体験を持つ人達が少しずつリスナーとして増えていった。 日常でどれだけ嫌なことがあってもラジオで消化できるという無敵状態に入った。そこからラジオの仕事が増えていき、気付けばレギュラーが4本になっていた。リスナーが増えていくと「リスナーが共感することを喋らなければ」という気持ちが生まれ、無理矢理怒ってみたこともあったが、その時にはまた自分の言葉と気持ちが離れているのがはっきり分かった。やっぱり自分の気持ちを偽わって喋ることはできない。 そんな偽われないメディアだからこそ、年齢を重ねてポジションが変わるにつれ、喋れることも変わっていく。