内定断り「全く知らない」強豪校へ まさかの監督命令…入学前に経験した甲子園準V
「ミスターロッテ」初芝清氏は小4で野球を開始、中学入学時に争奪戦が起きた
ロッテ一筋17年で打点王を獲得するなど、強打の内野手として活躍した初芝清氏。「ミスターロッテ」と親しまれ、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める。高校はカブス・鈴木誠也外野手の母校で、1982年選抜大会準優勝などの実績を持つ二松学舎大付(東京)で学んだが、中学3年の秋までは存在を「全く知らなかった」という。 【動画】うなり上げる剛速球は163キロ! 17歳高校生の衝撃の投球 初芝氏は1967年2月に東京・池袋で生まれた。子どもの頃は阪神・田淵幸一捕手のファン。とはいえ、野球は「原っぱで友達と野球ごっこをしているような感じ。最初はキャッチャーでしたが、あまりルールも知らなかった。走者がいてもボール回しをしたりとか」。あくまで遊びの1つに過ぎなかった。 小学4年で埼玉県坂戸市に転居。夢中だったボーイスカウト下部組織での活動を継続するつもりが、地域にはなかった。「たまたま転入したクラスの子が野球をやっていて、『今、チームに入っているんだけど1回来てみない? 』と誘われたので『じゃあ、行くよ』と。そこからです。もしボーイスカウトがあったら、野球はしてませんね」。 時は昭和。少年野球でもハードだった。監督だった大学生は「今ではダメですけど、超スパルタでした」と笑う。ただ、練習を離れると熱血青年は人懐っこかった。「なぜかわからないけど、家にご飯を食べに来る。必ず食卓にいましたね。うちに来ない日は他の子の家に行っていたのでは。そういう部分もあったので、厳しかったかもしれないけど楽しかった。夏にはみんなをプールに連れて行ってくれました」と懐かしんだ。 中学ではエースで4番打者を任されたが、入学時には早くも“争奪戦”が起きていた。学区の関係で、少年チームのメンバーの大半は初芝氏とは異なる中学校へ。その学校の監督が獲得を画策した。「『うちに来てくれ』と。教育委員会とかにも問い合わせ、一時期は住所を変えて行こうかとなったんですよ。でも駄目になりました」。