読書好き人間にとって最大の難関「たまった本はどうすればいいのか」樹木希林さんの考えに学びたい
読書を習慣化できるようになれば、本を読むことが楽しくなります。楽しいと、また読みたくなります。そのため、読みたい本もどんどん増えていくことでしょう。 しかしそうなってくると、やがて高確率で物理的な問題が発生します。読み終えた本、途中で挫折した本、買ったはいいけど読んでいない本などが、どんどん増えていってしまうということ。 読書家として有名だった故・立花隆氏のように、本を収納するためのビルを建ててしまえるならなんとかなるでしょうけれど、ビルなんてそう簡単に建てられるものではありません。 では、どうしたらいいのでしょうか。 「絶対に手放さない」とか、「本の山を眺めるだけで幸せだから」という方もいらっしゃることでしょう。かくいう私も、十数年前までは積み上がる本をうっとり眺めていたりしていたので(気持ち悪いな)、共感できないわけではありません。 ですから否定する気もないのですが、自身がそういう経験をしてきたからこそ、この場では現在の考え方を明らかにしておこうと思います。 結論から先にいうと、いまの私は “できる限り” 、不要な(と思われる)本は処分するようにしています。そう思い至ったきっかけは、純粋に不快だったから。 不快などというと語弊がありますが、いちばんひどいときの書斎は、部屋が本とレコードで埋まったような状態になっていました。本もレコードも、すぐに埃がたまってしまいます。そのため、掃除をしても追いつかないような状態で、ときどき室内を眺めながら「俺はいったい、なにをどうしたいんだろう……?」などと暗い気持ちになったりもして、まったく建設的ではありませんでした。 しかも十数年前に書評を書くようになってからは、気がつけば月100冊くらいのペースで本が増えていくようになりました。 積み上がる本をうっとり眺める余裕すらなくなったので、そのころから考えをあらためてみたのです。そして、それが現在まで続いています。そこで、その方法をご紹介したいと思います。ただし、これは新刊を対象としたもので、趣味性の高い古書などにはあてはまりませんので、その点はご理解ください。 おすすめしたいのは、本棚を3か月ごとに見なおすことです。読み終えた本は多くの場合、「念のためにとっておこう」というような漠然とした理由に基づいて、本棚に収められることになります。しかし、読み終えた時点で「とっておくべき価値がある」と感じさせた本も、3か月経てば「そうでもない本」に変化する可能性があります。 経験的にいうと、10冊残しておいたなかで、3か月後以降もとっておこうと思える本は1冊か2冊にすぎません。そのため、それ以外の本は思い切って処分してしまうのです。 なお、これも経験則ですが、処分してしまって困ることはほとんどありませんし、仮にまた必要になったとしても、たいていの本は買いなおすことができます。 しかも新品を購入するのはもったいないと感じるのであれば、アマゾンのマーケットプレイスなどで安価な中古品を探すという手もあります。ものによっては図書館で借りることもできるでしょう。 つまり現実的に、たいがいの本とは再会できるものなのです。ちなみに私の場合、処分したのちに買いなおした本は、この10年で2冊程度だったと思います。 そういえば、『希林のコトダマ』(椎根和著、芸術新聞社)によれば、亡くなった女優の樹木希林さんは所有する本を100冊と決めていたのだそうです。 《自分の家は、いつも整理整頓、余分なものはなにも置かない、絵も写真も飾らない主義の希林さんに、本をどういう具合にしているのか、とたずねた。答えは簡単だった。「百冊以上は、家に置かないの。あたらしく気に入った本、手元に置きたくなった一冊がでてきたら、百冊のなかの一冊を、人にあげてしまうの。だから、いつも百冊」という返事だった。ジャンル関係なく、自分の気に入った本しか読まない、大読書家で大女優のシンプルな考え方による蔵書システム。》 私の本棚メンテナンス法よりもずっと高度な、見習うべき考え方だなと感銘を受けました。本を人にあげることは私もよくありますが、とはいえここまで徹底した境地にまではたどりつけそうもないなあ。恥ずかしながら、まだまだ修業が足りなそうです。 ※ 以上、印南敦史氏の新刊『現代人のための読書入門 本を読むとはどういうことか』(光文社新書)をもとに再構成しました。「本が売れない」という文言が飛び交う現代社会で、「読書の原点」を問いなおします。