ついに劇場初公開! 旬の映画監督たちに影響を与えた伝説の一本『美しき仕事』
ここ数年、100年以上に及ぶ映画史を支配してきた序列が急速に見直され、いわゆる“オールタイムベスト”系のリストに大きな異変・革新が起きている。象徴的なのは2022年、英国映画協会(BFI)発行の映画専門誌サイト&サウンドが発表した「史上最高の映画(The Greatest Films of All Time)」で、シャンタル・アケルマン監督(1950年生~2015年没)の代表作『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975年)が第1位を獲得したことだろう(10年前の前回ランキングでは第36位だった)。ちなみに以下の順位は、第2位『めまい』(1958年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)、第3位『市民ケーン』(1941年/監督:オーソン・ウェルズ)、第4位『東京物語』(1953年/監督:小津安二郎)、第5位『花様年華』(2000年/監督:ウォン・カーウァイ)、第6位『2001年宇宙の旅』(1968年/監督:スタンリー・キューブリック)と、おなじみの男性監督たちの名作が続く。そう、従来のヒエラルキーを揺るがしたのは「男性優位の解体」だ。特に2017年にハリウッドで#MeToo運動が起こってから、それまで男性監督の作品群一色だったランキングの再検討・再編成が進み、女性監督の作品たちが再評価される形で上位への躍進を果たしているのである。
孤高の映画作家、クレール・ドゥニ監督が描き出す鮮やかで官能的な映像美に陶酔
この転換期の先頭に立つシンボルが『ジャンヌ・ディエルマン』だとしたら、それに次ぐ大物が本稿で紹介する1999年のフランス映画、クレール・ドゥニ監督の『美しき仕事(原題:Beau Travail)』だ。先述のBFI史上最高の映画ランキングでは堂々の第7位。2019年の米IndieWire選出による女性監督作品オールタイムベスト100では第2位(第1位が『ジャンヌ・ディエルマン』)。同年の英BBC選出による女性監督作品オールタイムベスト100では第4位。さらに米業界紙ヴァラエティが2022年に発表したオールタイムベスト100では第68位。米情報誌タイムで2023年に評論家が選んだ過去100年の映画ベスト100(順不同)にも選出……と華麗な戦歴を並べてみたが、これほどの重要作が、日本では長らく特集企画や映画祭のみの上映だった。しかし2024年5月31日から、4Kレストア版でついに待望のロードショー公開となる。 女性監督の映画といっても、本作『美しき仕事』に登場するのは主に男たちだ。主演は『汚れた血』(1986年)や『ポンヌフの恋人』(1991年)、『ホーリー・モーターズ』(2012年)などレオス・カラックス監督作品のアイコンとして知られる名優、ドニ・ラヴァン。彼が演じるのは、元フランス軍外人部隊の上級曹長だったガルー。いまはマルセイユの自宅で回想録を執筆しており、彼のナレーションに導かれる形で、かつてアフリカのジブチに駐屯していた日々のことが描かれていく。 燃えさかる太陽が照りつけるアフリカの大地と、鮮やかな青が広がる海岸と空。暑く渇いた土地で過ごす中、いつしかガルーは上官のフォレスティエ(ミシェル・シュポール)に憧れともつかぬ思いを抱くようになる。そんな折、部隊にやってきたのが新兵のサンタン(グレゴワール・コラン)だ。社交的な性格のサンタンはたちまち人気者となり、フォレスティエからも一目置かれる存在に。まもなくガルーはサンタンに対して、嫉妬と羨望の入り混じった感情を募らせていく……。 監督のクレール・ドゥニは1948年パリ生まれ。植民地行政官の娘として幼い頃はアフリカ諸国で暮らしており、映画監督デビュー作の『ショコラ』(1988年)はカルメーンで過ごした自らの少女時代を題材にしたものだった。『美しき仕事』では、やはりドゥニ自身が昔住んでいたジブチを舞台に、軍隊という場における男性間の情愛や性的欲望を掬い取っていく。のちにエレガンス・ブラットン監督が自らの体験をもとに、イラク戦争時の米海兵隊への入隊を志願したゲイの青年の苦悩や葛藤を描いた『インスペクション ここで生きる』(2022年)をA24制作で発表したが、同作にも影響を与えた偉大な先駆的クィアフィルムとしてブラットン監督が挙げていたのが、まさに『美しき仕事』だった。 今回の4Kレストアにより、映像の美しさはいっそう際立っている。撮影を務めたのはアニエス・ゴダール。ドゥニとは幾度もタッグを組む名手だが、彼女がカメラを主に向けるのは屈強な軍人たちの官能的な肉体美だ。トレーニングばかりでなく、洗濯やアイロンがけの様子まで、多くの評者が男たちの身振りの美しさをダンスに喩えた(実際、ダンサーで振付家のベルナルド・モンテが振付務めている)。また軍事訓練のシーンには、ベンジャミン・ブリテン作曲のオペラ音楽『ビリー・バッド』(米国の作家ハーマン・メルヴィルの遺作の未完小説をもとにしたもの)が流れる。荘厳なまでの肉体美の描写は、『オリンピア』(1938年)などのレニ・リーフェンシュタールを彷彿させるが、決して無邪気な賛美に留まらず、主人公ガルーの抑圧や屈折を織り込んで批評的に差し出している趣だ。 先ほど本作の影響を受けた後続監督として『インスペクション ここで生きる』のエレガンス・ブラットンを挙げたが、他にも『ムーンライト』(2016年)のバリー・ジェンキンス、『aftersun/アフターサン』(2022年)のシャーロット・ウェルズらも、『美しき仕事』並びにクレール・ドゥニの熱烈なファンであることを公言している。さらにヘレナ・ヴィットマン監督の『Human Flowers of Flesh』(2022年)では、なんとドニ・ラヴァンが『美しき仕事』と同じガルーという名前でゲスト的に登場する。またドゥニはジャック・リヴェット、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュらの助監督出身であり、ヌーヴェルヴァーグ以降の流れと現在の最尖鋭作家たちを繋ぐキーパーソンともいえる。 さて、やがて本編はアフリカからフランスに戻り、軍隊での規則的なアクションとは対照的に、イタリアのユーロダンスユニット、Coronaの1993年のヒットチューン「ザ・リズム・オブ・ザ・ナイト」に乗って、ドニ・ラヴァンが勝手気ままに踊り出す──この幕引きも忘れられない余韻を残す。93分の破格の衝撃と陶酔、ぜひこの機会に体験していただきたい。 Text:Naoto Mori Edit:Sayaka Ito