大河ドラマ「光る君へ」で〝最古の同人誌づくり〟が実写化 『源氏物語』光源氏のモデルは誰なのか
「醍醐天皇の時代」説 臣籍降下した源高明
水野:天皇の子どもの光源氏も、母親の身分が低く、帝になるのではなく臣籍にくだった設定なので、いろいろモデルが想像されそうですね。 たらればさん:そうです。まず「舞台のモデルは醍醐天皇の時代」という説があり、その醍醐天皇の第十皇子であり、臣籍降下して「源」の姓を与えられたのが、前述の(俊賢と明子の父である)源高明なんですね。 水野:天皇の子から臣籍になった不遇さを考えると、光源氏っぽさがありますよね。 たらればさん:高明は、歌がうまくて賢く美男子だったといわれています。それに加えて、政変に巻き込まれて太宰府に飛ばされてしまうんです。 水野:大河ドラマ「光る君へ」では高明の娘の明子さまが、道長と結婚した当初、父の不遇を恨んで、道長の父・兼家(段田安則さん)を呪い殺そうとしていましたもんね……。 たらればさん:この政変(「安和の変」)は兼家が主犯というわけではないんですけど、藤原一族が父の不遇の原因なので恨んでいる、ということですね。 『源氏物語』の光源氏も須磨に流されますから、それも踏まえて、高明は有力なモデルのひとりであると言われています。
嵐山に別荘、源融 モデルの阿弥陀如来像
水野:複数のモデルがいるということは、二人目は? たらればさん:高明よりも100年ぐらい前の人で、源融(とおる)という人がいます。この人もお父さんが天皇です。 六条河原院という大きなお屋敷を建てて住んだ人ですが、河原左大臣とも呼ばれて百人一首にも出てきます。 <陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし われならなくに> 水野:この源融さんは、京都・嵐山に別荘があったんですよね。再建された清涼寺、わたしも訪ねてきました。 5月ぐらいに訪れたら、源融に顔を似せたとされている阿弥陀如来像がちょうど公開されていました。たしかにキリリとしたお顔でした……! 10,11月も公開予定のはずなので、ぜひお近くの方はお顔を見にいってみてください。 たらればさん:そうでしたか(笑)。 水野:この美男子だというあたりが光源氏のモデルということなんでしょうか? たらればさん:なかなか説明が難しいのですが、このあたりも皇統が乱れた時代だったんですね。 順調な天皇の序列ではない時代に、「源氏」だったのが融や高明でした。「この皇位継承って怪しくない?」というときに、源氏だったことが、光源氏と境遇が似ているということですね。 皇統が乱れる時代を『源氏物語』のニュアンスとして盛り込んでいるのではないか、といわれています。 水野:なるほど。 たらればさん:天皇家の皇位継承は順風満帆ではなく、それぞれの時代なりに策謀がうずまいていて、波瀾万丈で、そのそばにはずっと藤原氏がいるわけです。藤原氏が至る所で暗躍するわけですが、『源氏物語』もそれを反映させているわけですね。 さらに言えば、源氏物語って権力論でもあり恋愛論でもあり人生論、宗教論、秩序論でもあるわけです。それが1000年の歴史のなかで読み継がれ、それぞれの時代で「これは今の時代に合っている」と言われ続けてきたわけで、やっぱり「日本を代表する文学作品だよな」とは思いますね。