コンピューター界の女傑列伝
■半導体業界での女性の存在 私がAMDに入社した時に、私の上司であった当時のAMD副社長Ben Anixterが私に言った言葉は、その後も私の職業観に大きく影響を与えるものであった。「AMDは優れた人材を必要としている。我々はその人材に投資するのであって、その人材の性別など全く問題ではない」とすっぱりと言ったのを今でもはっきりと記憶している。「さすがにシリコンバレーだな」、と実感する場面はいくつもあった。割合はそう高くはないものの、営業・マーケティング、エンジニアリング、法務部と女性は幅広く活躍していて、高いポジションについている人たちも多くいた。 AMDの後に勤務した欧州系のウェハ企業でも、本社の上司である副社長は女性で、その並外れた記憶力とそう簡単に妥協しない胆力と公正さには常々心腹させられた。 散々議論した後に「参りました……」とあっさり音を上げるのはいつも私だったような記憶がある。フィンランドは男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも毎年上位にあり、歴代の大統領、首相、閣僚にも女性が何人も就任している。とかく「女性はXXのような分野に向いている」、などと言われる事があるが、私の経験から判断するに女性は、記憶力、決断力、胆力、集中力、緻密さなど重要ポストに必要な能力において男性に勝るとも劣らないものであると感じる。競争が熾烈なコンピューター/半導体業界では優秀なタレントをどれだけ集められるかが優勝劣敗を決定づける。女性の社会進出の分野で国際比較で大きく立ち遅れている日本社会は今後相当なスピードでこの状況を改善する必要がある。 ■AMDを世界的な大企業に成長させたCEO、Lisa Suの活躍 私は1986年から2010年までAMDで24年間勤務した。そのほとんどの期間が、AMDのIntelに対する挑戦の歴史だったが、私が憶えているだけでも少なくとも3回は「これでAMDはおしまいだな」、と感じた時があった。 そのAMDも今年で創立55年を迎える。その歴史の最初の2/3位の期間、長きにわたりIntel相手の激しい競争を戦い抜くAMDを率いたのが創業者でCEOのJerry Sandersであった。その頃のAMDを経験した人で、現在のAMDの逞しさを想像できた人はまずいないだろうと思う。 ドレスデンFabを切り離し、ファブレス企業となったAMDの当時の製造パートナーはGlobalFoundries(GF)だった。工場への多額の設備投資が必要なくなり、身軽になったAMDは全ての資源をCPUの設計に集中させることができ、K8を始めとする現在のAMDの技術基盤となった製品を次々と繰り出したが、製造技術ではまだIntelには遅れを取っていた。製造技術でのハンディキャップを製品のデザインでカバーする状態であった。 CPUデザインでIntelからの激しい追い上げを食らっていたころ、TI、IBM、Freescaleなどで経験を積んでAMDに移籍したのがLisa Suであった。当初は製品担当の責任者であったが、2014年にAMD初の女性CEOに就任した。Lisaはここで大きな決断をする。まず、CPU設計の焦点をハイパフォーマンス分野に絞り、あくまでも高性能のアーキテクチャーにこだわった。そして、製造パートナーをその成り立ちから慣れ親しんできGFからTSMCに変更した。この大英断は見事に結実し、現在AMDはCPUのみならず急成長を続けるAI用の半導体分野でも、トップグループに付けるポジションを築いた。かつて、AMDのSandersは「ファブを持ってこそ男」と豪語したが、現在のAMDは、Lisa Suの類い稀なリーダシップで「常にトップグループで競合するファブレスの大企業」に変身した。女性CEOに率いられるAMDの進撃はまだまだ続く。
■ 吉川明日論 よしかわあすろん 1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、2016年に還暦を機に引退を決意し、一線から退いた。
吉川明日論