日銀、マイナス金利を解除 : バズーカ空振りをごまかし続けた10年
窪園 博俊
日銀は、安倍晋三首相の肝いりで始めた実験的な大規模緩和にようやく終止符を打った。四半世紀以上にわたって日銀をウオッチし続けてきたジャーナリストが迷走を振り返る。
日銀は2024年3月18-19日に開催した金融政策決定会合で、マイナス金利の解除を決定した。また、長期金利の誘導も止め、「長短金利操作」も廃止した。このほか、国債買い入れなどを通じてマネタリーベースを拡大する「量的緩和」も取りやめた。金融政策は短期金利を操作するシンプルなものとなり、2013年に安倍晋三首相(当時)の肝いりで始まった実験的な大規模緩和は10年超を経て、やっと終止符が打たれた。
リフレ派首相・リフレ派総裁が放ったバズーカ砲
日銀がこれまで続けた大規模緩和の正式名は「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」と言う。市場関係者ですら覚えるのが難しい長々とした名称になったのは、実験的な緩和策の迷走ぶりを物語る。 簡単に経緯を紹介しよう。始まりは、「金融政策だけでデフレ脱却できる」というリフレ思想を掲げて安倍氏が首相に返り咲いたことだ。安倍首相は同じくリフレ思想を持つ元財務官の黒田東彦氏を日銀総裁に任命した。 そして黒田総裁が始めたのは「異次元緩和」だった。国債を爆買いしてベースマネーを一気に増やす緩和策は「黒田バズーカ」と称された。おりしも米連邦準備制度理事会(FRB)が金融緩和を正常化するタイミングと重なり、外為市場では円安・ドル高が急進展。日経平均株価も上昇し、物価も上昇する気配を見せた。ところが、2014年に原油相場が急落。物価は再び低迷し、異次元緩和の空振りが鮮明となった。
空振りをごまかす弥縫策
無益な緩和から撤退すべきだったが、黒田日銀は意固地に緩和を追求。ところが、爆買いを続けた結果、購入可能な国債の枯渇が視野に入った。このままでは弾切れになる。苦肉の策でひねり出したのが「マイナス金利」(2016年)だった。しかし、突然の「マイナス金利」は金融市場を不安にさせ、リスク回避の株安・円高を招く。長期金利もマイナス圏に沈み、運用難となった生損保の経営が揺らいだ。そして、長期金利の過度な低下を防ぐ「長短金利操作」が加わった。 まとめると、「異次元緩和」の行き詰まりを回避するため、「マイナス金利」に転進。さらに「マイナス金利」の副作用を打ち消すために「長短金利操作」を加えた。要は、「黒田バズーカ」の空振りをごまかす弥縫(びほう)策の積み重ねが「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という長いタイトルになった理由だ。これに終止符を打ったのが、黒田氏の後任となった植田和男総裁だ。 植田総裁がマイナス金利の解除にこぎつけたのは、円安で企業収益が増大し、春闘の賃上げが高水準となったからだ。もとより、円安は輸入比率が大きい食料品の値上げを招いて家計に打撃を与えたが、一方で賃金も相応に上昇。日銀が2%の物価目標の達成条件としていた「賃金と物価の好循環」が実現する見通しとなった。植田総裁は会見で「春闘が大きな判断材料となり、2%の物価目標の実現が見通せる状況に至った」と述べ、賃上げに主導された物価上昇に自信を示した。