流行語は「死語」になりがち?消えずに”世代を超えて”定着する条件とは?「真逆」「夜ご飯」もかつては一般的な言葉ではなかった!
■「食べたみ」の使い方は? 父:他にはあるか? 長女:似たようなものだと「食べたみ」かな。 父:そんなものまであるのか。 長女:これだから昭和は。 父:うるさいぞ。 長女:ちなみに例文は「私が大事にしていたアイス、もうなくなっちゃったな。テストのごほうびとして、なけなしの財産はたいて1週間前から楽しみにしてたのになあ。せっかくテストがんばったのに。アイス食べたみすぎる」。 父:悪かった。ハーゲンダッツ、箱で買ってやるから。……はあ、給料前なのに、つらみ。
「み」がつくのは形容詞だけではありません。「わかる」という動詞に「み」がついた「わかりみ」という語が若い世代のあいだで広まっています。 「知る」と「わかる」の違いは何でしょうか。「知る」は知識を手に入れるだけですが、「わかる」は理解と共感を伴います。「わかりみ」で大事なのは後者の共感です。「わかりみ」は「その気持ち、わかるわかる」と共感する言葉です。 「わかりみ」は文末に使われることが多く、「わかりみ!」などと単独で使われるのが一般的です。共感がとくに強い場合は「わかりみが深い」という形もよく使われます。そのほか、「わかりみが強い」「わかりみが過ぎる」「めっちゃわかりみ」「わかりみしかない」など、慣用句的なパターンは豊富で、どれも強い共感を表します。
井上史雄氏の分類に「言語変化」というものがあります。若者言葉として使われてきたものが世代を越えて定着し、頻繁に使われることで当たり前の日常語となり、若者言葉という出自さえ忘れられていく言葉です。こうした言語変化の例として「サボる」という語があります。 「サボる」の「サボ」は「サボタージュ」というフランス語に由来しますが、もはや日本語感覚で使われています。同様に、大学で広く使われていた演習形式の授業を指す「ゼミ」もまた「ゼミナール」というドイツ語に由来しますが、大学という枠を越えて一般に定着した言語変化の例と見ることができるでしょう。