【カメラが去ったあと・被災地の今】4年間海に沈んでいたまち・石巻市長面
4年以上もの間、海に沈んでいた宮城県石巻市長面地区
7月の太陽が照りつける水面が、きらきらと輝く。時折吹く風に、波が静かに立つ。 ここは、海ではない。湖でもない。かつては陸地で、住宅や田んぼが広がるまちがあった。 宮城県石巻市長面(ながつら)地区は、岩手県岩手町から流れる北上川がその長い旅を終えて海へ注ぐ、河口付近に広がる。雄大な北上川と山々を背景に、夏は海水浴場としてにぎわう砂浜が、冬は河川敷になびく黄金色のヨシが美しい場所だった。山に囲まれた内湾の長面浦は波が立たず、森から流れ出る豊かな栄養素で、大きな牡蠣が育つ産地としても有名だ。 146世帯が暮らしていたという長面地区の集落は、東日本大震災の津波ですべて流された。震災で土地は1メートル以上地盤沈下し、家の土台が残されたそのまちに、海水がなだれ込んだ。震災後の4年以上もの間、その場所は元から海であったかのように、広域が海に沈んだままになっていた。
その海に沈んでいたまちが今、ようやく再び顔を出しつつある。現場では、元々陸地だった場所を囲むように板を打ち込み、先月から陸地に流れ込んだ推定約140万トンの水をポンプで抜くという大掛かりな作業が開始されている。だんだんと干上がっていく陸地では、震災で犠牲となった行方不明者の捜索が始まった。これまで海に浸かっていたこの場所では、4年以上の時を経てようやく今、陸上での捜索が可能となったのだ。長面地区のある石巻市河北総合支所管内では震災で416人が犠牲となり、いまだ42人の行方が分かっていない。 7月11日の月命日。少しずつ陸地が現れてきた長面地区で、ショベルカーが稼働していた。ひっきりなしに動き、捜索のため、陸地の障害物などをどけているようすだった。行方不明者の捜索が終わると、この場所には土を盛り、農地として整備する計画だという。 震災後、全域が人の住めない「災害危険区域」に指定された長面地区周辺だが、辺りを見回すと、まだ人の姿が見える場所がある。長面地区から、内湾の長面浦を挟んだ向かい側にある「尾崎地区」。58世帯が暮らしていたというこの地区も震災後、人が住めない区域に指定されたが、長面浦や外洋で漁をしていた5人ほどの漁師が漁をするために、震災後も日中だけこの場所へ通い続けている。