【カメラが去ったあと・被災地の今】4年間海に沈んでいたまち・石巻市長面
通い続ける漁師たち
尾崎地区を歩いていくと、プレハブの作業小屋の前でハモ漁のためのエサを用意している漁師に出会った。尾崎地区で生まれ育った神山正和さん(66)は、車で約30分の場所に再建した自宅から毎日この場所に通っているという。漁のある日も、ない日も、この場所で網を作ったり、海のようすを見に来たりする。「ここに、愛着はあるけどね。息子は漁師をやらないみたいだし、私で最後かな」と、さっぱりとした口調でエサとなるサンマをちぎっていく。 神山さんは震災発生時に海に囲まれ孤島のようになった尾崎地区で、3日後にヘリコプターで救出されたという。震災の年の7月まで避難所生活を送った後、2年間プレハブの仮設住宅で生活。漁は、震災の1年後に自宅のあったこの場所で再開したそうだ。 震災後は海へ出る航路が変化して漁場まで遠回りをしなければならず、船の燃料代は震災前の倍以上になっているという。平坦な道のりではなかったが、「ボランティアや支援に頼るのは好きではない」と、漁師の腕一本で生活を立て直してきた。「10年か15年かわからないけど、働ける限り漁師をやるよ。漁が好きだから」 尾崎地区には、行政が震災後にこの場所を「災害危険区域」として指定する前に自宅を自費で修繕してしまっていた家が数軒あり、長面地区と違って今も家々が立ち並んでいる。震災前は全国的に有名だったという民宿も、古くからこの場所の守り神だった神社も残っている。この集落の文化と記憶を、今は日の出とともにこの場所に通い続ける数人の漁師たちが紡いでいる。 (安藤歩美/THE EAST TIMES) ◇ 連載【カメラが去ったあと・被災地の今】 東日本大震災から4年以上が経過し、報道陣も多くが撤収する中、被災地の現状を報道で目にする機会は少なくなってきました。ですが現場ではまだ復興は十分に進まず、仮設住宅に暮らす人も多くいます。被災地では今、何が起きているのでしょうか。東北在住の記者・安藤歩美が読者の目となり耳となり、東北各地の被災地の現状をリポートします。(随時掲載)