故ヨハン・クライフが名付けた《周辺》に追い詰められたシャビ
「バルセロナの監督をするのは、残酷で不快だ」
衝撃的な言葉だった。
シャビが今季限りでベンチを退くことを発表してから1週間経った。スペインスーパーカップとコパ・デルレイで連続敗退後に、リーグ優勝も絶望的になった。だから、辞任はあり得ることだったが、「残酷」で「不快」という表現には驚いた。
これではまるで三行半。“将来的にも監督をするつもりはない”という決別表明ではないか。
解任・辞任経験のない名監督などいない。
リバプールのユルゲン・クロップも今季限りを発表したばかりだし、グアルディオラだってバルセロナでの最後のシーズンは追われるように出て行った。シャビには経験が足りなかった。ならば経験を積んで戻ってくればいいじゃないか。
「(監督を)続ける意味はまったくない、と言うところまで、精神的な健康面、生きる意欲という面で恐ろしく消耗した」
何がシャビをここまで追い詰めたのか?
それは、かの有名な「周辺」ではないか。
バルセロナはクラブ、会長、監督、選手のことを過小評価する者たちに囲まれている。クラブの一挙手一投足を見張りチェックし、悲観的でネガティブな意見を吐く者たちだ。
といっても、純粋な意味での「敵」ではない。「周辺」はレアル・マドリーファンではない。普段はバルセロナファンであり味方なのだが、クラブやチームがつまずくと一斉にネガティブキャンペーンを行う敵に豹変する。
「周辺」を目撃した者はいない。
便宜的に「者たち」と書いたけども、特定の人物や集団を指すわけではなく、ネガティブで気紛れな空気を指す。楽観的なスペイン人一般に比べて、悲観的だと言われるカタルーニャ人の気質が影響しているのかもしれない。
最初に「周辺」の毒性に気づき、「周辺」の名付け親となったのは、故ヨハン・クライフだ。
今から30年以上前、92年4月チャンピオンズカップ(現CL)のグループステージでバルセロナはスパルタ・プラガに1-0で敗れた。決勝進出に向けて悲観的な空気を読み取った監督クライフは、こう言った。