「朝ドラにBL要素いる?」「国民的ドラマで?」の声も…『虎に翼』への“トンチンカンな意見”に反論
本作の鋭い批評性
定義上、それが同性愛に傾斜することはない。言わば、ホモセクシュアルすれすれの関係で踏みとどまることで、ホモソーシャルな男性社会の仕組みがかろうじて保たれたということ。男性社会の枠組みを変革することが目指されつつ、そうした社会の中でしか育まれない、男性同士の朋友精神(友情)が温められる美しさは否定し切れない。 ところが、戦後、GHQの指導で公布された新憲法では、「基本的人権の尊重」が明記された。 「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」 よねは、カフェの壁に憲法のこの文言を書き写している。そんなよねが轟のセクシュアリティを示唆するところに、本作の鋭い批評性がある。 「ずっとこれが欲しかったんだ」と言うよねの言葉は、まさに新憲法を体現したものだろう。轟が同性愛者だとしても、「社会的関係において差別されない」ことは言うまでもない。そしてそれは同時に、愛する同性の片割れ(花岡)を失った轟にとっての社会的救いでもある。 安易に「BL」と形容し、「朝ドラにBL?」という疑問を抱くこと自体、立派な差別と成りかねないことに意識的になる必要がある。
脚本家が仮託する“愛のかたち”
本作の批評性を裏打ちする脚本家・吉田恵里香の素晴らしい批評眼も特筆しておかなければならないだろう。BL要素と誤読されたよねと轟の場面への反応を受け、吉田は放送後すぐにX上で補足説明している。 「轟の、花岡への想いは初登場の時から【恋愛的感情を含んでいる】として描いていて私の中で一貫しています(本人は無自覚でも)」 そう、轟は「自覚」しているわけではないのだ。その上で、人物造形としては、「同性愛は設定でもなんでもない」と言うのが、何とも誠実な作り手の態度ではないか。つまり、轟の花岡への気持ちが、ここにきて明かされるからと言って、それがそもそも裏設定ではなかったということ。 過去には、「ハリー・ポッター」シリーズの原作者J・K・ローリングが、ホグワーツ校長のダンブルドアが実はゲイだったという事実を裏設定として2007年に公表している。ダンブルドアの中年期を明らかな同性愛描写で表現した『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』(2022年)にもやはりBL要素への批判的(差別的)意見が散見された。 単純な比較論で申し訳ないが、でも『虎に翼』の吉田は、ローリングよりもっと誠意を持ってキャラクター造形にあたっている。丁寧な説明を惜しまない態度にもまた脚本家としての愛情深い眼差しを感じる。花岡を想いながら、こらえようとする轟の瞳に写るのは、脚本家が仮託する“愛のかたち”である。 <文/加賀谷健> 【加賀谷健】 音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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