「同性から支持されるが家庭生活には不向き」 再婚の東出昌大が漂わせる「罪深い優しさ」の正体とは
同性にはかわいがられるが家庭生活には不向きな東出さんの「優しさ」の正体
ABEMAで共演したひろゆきさんは、東出さんのことを「気を使う人」と言っていた。それはなんとなく、画面からも感じ取れる。疲れていても旅先で出会った人に対する物腰の柔らかさは変わらない。ひろゆきさんとディレクターに従い黙々と進み、撮れ高を気にする素振りも見せる。 多分それは、東出さんの「今・ここ」で向き合っている人をがっかりさせたくない、という性格ゆえなのだろう。そう考えれば、「交際相手はいない」だの、「子どものことを考えて再婚は考えない」とコメントしたのもうなずける。インタビュアーに「やっぱりだらしないんじゃん東出って」と、落胆されるのが耐えられないのではないだろうか。そして女性にも同じような態度を取れば、そりゃあ期待を持たせてしまうだろうなと思う。 「今・ここ」しか見ないというのは、変な先入観や先々の不安にとらわれず即行動できるという美点にもなる。人の好意を疑うことなく受け入れ、声をかけられればすぐ駆け付ける。結婚報告で「土地のオッチャンオバチャン」と書かれている、山の周辺住民からもかわいがられているようだ。杏さんとの出会いも、ほとんど面識がなかったのに、パリの路上で東出さんから声をかけたというエピソードを思い出した。 今日会った相手に好かれたいがゆえに、昨日の言葉を翻す。東出さんの「優しさ」は、不誠実ともいえるし、実は自分をよく見せることしか考えていない行動ともいえる。山暮らしの気ままさも含め、自由な言動に男性からの支持が急上昇しているが、家庭生活を長く営むには不向きな人なのだなと思うばかりである。
杏との結婚時とは真逆の報告文ににじむナルシシズム 「今・ここ」主義と合わせて役者にはメリットか
面白いことに、杏さんとの時と再婚報告の内容は真逆である。初婚時には連名で「表現者としても社会人としても精進を重ね、そのことがより良き社会への貢献につながるような人間をめざしたい」と殊勝な心構えを見せていたのに、今回は「今後とも至らない点ややらかしもちょいちょいあるかも知れない私どもですが、御指導御鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます」と結んでいる。 批判をけん制するかのように、「情けなくも、人生で間違いやしくじりを繰り返している私」「自分の至らなさを自覚」と自虐もすごい。あきれたのは「彼女は身重で一般の子ですので、直撃取材等はなさらないように」の一文だ。あの大騒動を招いたのは、杏さんが妊娠中に始まったといわれる東出さんの不倫が引き金なのに。「今・ここ」で目の前にいる女性を喜ばそうと、その場しのぎの男気を見せ、ヒロイズムに酔ってしまうのだろう。あとで無責任となじられても、「だからオレ、自分はクズってちゃんと言ったじゃん」と開き直る態度が目に浮かぶ。 ただ、そういった取り繕(つくろ)わない言葉が、男性ファンに受けると東出さんは手応えを感じていそうだ。以前は控えめな優等生っぽい受け答えだったが、よくしゃべる、いや「語る」ようになった。狩りの醍醐味、山暮らしの豊かさ、スキャンダルを経ての価値観の変化、役者論……でも俗世のしがらみから距離を置いたはずなのに、世捨て人ぶったナルシシズムを漂わせてしゃべりすぎるものだから、私のような意地悪な人間に「あの時の言葉と違うじゃん」と揚げ足を取られるのだ。 けれどもそういった自己陶酔と「今・ここ」主義は、役者という職業には役立つのだろう。自分の見せ方へのこだわり、共演者を心地良くさせる気遣い、アドリブなどの瞬発力に通じる部分はある。実在の事件を描いた今年3月公開の映画「Winny」での演技が高い評価を得ている東出さん。あれほど棒演技とからかわれていたのがうそのようであるが、こうした受賞も、彼のナルシシズムと自信に拍車をかけてしまったのかもしれない。 さて、杏さんはパリにお子さんを連れて移住し、先日のオリンピックではNHKのスペシャルアンバサダーを務めた。不倫相手だった唐田えりかさんも、出演したNetflix「極悪女王」が来月配信予定。東出さんの言葉に振り回された女性たちは、それぞれに華々しい再出発をしたばかりだ。それにしても「東出ガールズ」の残り二人、気まずいだろうなと思う。「山の天気は変わりやすい」と言うが、山男の東出さんの「優しさ」もまた同じと分かった今、雲行きが怪しくなる前に「下山」されることを祈っている。 冨士海ネコ(ライター) デイリー新潮編集部
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